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「歴史」

母の戦争体験記『私が子供だった頃』を昭和館へ寄贈しました。


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戦中戦後の国民生活の労苦を次世代の人々に知ってもらうための国の施設「昭和館」から、母の戦争体験記『私が子供だった頃』の提供のご依頼があり、この度、本を寄贈させていただきました。このサイトの中で数回にわたり、本の抜粋を紹介してきましたが、大変光栄なことと思っています。寄贈に至った経緯や昭和館の施設の紹介、またその取り組みについてお伝えします。

母の戦争体験記『私が子供だった頃』

母の戦争体験記『私が子供だった頃』

今回、昭和館へ寄贈したのは『~戦争の記憶~私が子供だった頃』です。
この本は、昭和8年に鹿児島県の薩摩川内市に生まれた母が、国民学校初等科から高等女学校の生徒だった戦中戦後、どのような教育を受け、どのような生活を送っていたのか、母から聞き取り、その証言を私がまとめたものです。戦争の記憶が風化していく中で、その時代に生きたすべての日本人が、穏やかな日常を奪われ、戦争に巻き込まれていった事実を、一人の子供の視点を通して書いています。母の証言の裏付けをとるため、戦時中の歴史的な事実もいろいろ資料を読んで調べ、できるだけ正確な記録となるように心がけました。

母の証言の裏付けをとるため、戦時中の歴史的な事実もいろいろ資料を読んで調べ、できるだけ正確な記録となるように心がけました。

戦時中の教育(はだし登校、軍国主義の教育、勤労奉仕の日々)、戦時中の暮らし(耐乏生活、空襲への備え、機銃掃射される)、戦争が終わって(米兵から避難、終戦直後の教育、戦後の食糧難)など、母から聞いた話を、わかりやすく伝えるために、項目に分けて書いています。また、小学・中学生にも読んでもらいたいという思いで、できるだけ簡単な表現にしました。
およそ150ページの戦争体験記です。

小学・中学生にも読んでもらいたいという思いで、できるだけ簡単な表現にしました。 およそ150ページの戦争体験記です。

この『私が子供だった頃』の中から、これまで「てのん」の中で数回にわたり、本の抜粋を紹介してきました。

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『私が子供だった頃』を昭和館へ寄贈

そして、この度「昭和館」から、この本を提供していただけないかとのご依頼がありました。
ご連絡を受け、大変うれしく、光栄なことと思い、5月に寄贈させていただきました。
そこで、母の戦争体験記をどのような経緯でお知りになったのか?また、昭和館はどのような施設で、どのような取り組みをされているのか「てのん」の中でご紹介できないかと昭和館にお願いしたところ、大変快く応じてくださり、今回、昭和館のホームページに掲載されている写真なども使わせていただきながら、昭和館を詳しく紹介させていただけることになりました。
こちらの質問にお答えしていただく形で、メールにてご返事いただきました。
母の戦争体験記が今後どのように活用されるのかも伺いました。

昭和館とはどのような施設ですか?

昭和館昭和館

「昭和館は、主に戦没者遺族をはじめとする国民が体験した戦中・戦後(昭和10年ごろから昭和30年頃までをいいます)の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、次世代に伝えるために厚生労働省が平成11年3月に開設した国立の施設です。東京都千代田区九段南にあり、地上7階地下2階の建物で、運営は厚生労働省より(一財)日本遺族会に委託されています。」

常設展示室常設展示室

「戦没者遺族をはじめとする国民の暮らしを伝える「常設展示室」は、説明員のポイント説明や、ワークシートを準備し、展示内容に対する学びを深めるお手伝いをします。この他、当時の貴重な写真(約32,000点)・映像(約3,600点)・音響資料(SPレコード約14,000点)等をタッチパネル式のパソコンで検索できる「映像・音響室」、約140,000冊の文献・資料等の情報をデータベースで素早く検索し、閲覧できる「図書室」、学校団体の昼食会場としてご利用いただける「研修室」、当時のニュース映像を上映する「懐かしのニュース・シアター」などがあり、様々な観点からの企画展や各種イベントを開催しており全世代でご利用いただける施設です。」

懐かしのニュース・シアター懐かしのニュース・シアター

戦中戦後の国民の生活を、多方面から詳細に紹介しているこのような素晴らしい施設に、一つの資料として母の戦争体験記が加わるというのは、本当にありがたいことだと改めて感じています。
今回、戦争体験記を提供していただけないかとご連絡していただいたのは、昭和館の図書情報部の取り組みを通してだそうです。

図書情報部のどのような取り組みを通して母の戦争体験記をお知りになったのでしょうか?

「図書室では、戦中・戦後の国民生活上の労苦を伝える手記や体験記を積極的に収集しており、新聞その他で資料の情報をチェックしています。今回は、戦争体験の継承に関する図書の調査を行っていた語り部育成事業の担当から情報提供があり、ご連絡させていただきました。」

図書室図書室

昭和館の4階に図書室があります。
蔵書数は約140,000冊。戦中・戦後の国民生活を中心とした図書・雑誌等が集められ、そうした資料を 自由に検索、閲覧ができます。
目次を含む情報がデータベースに入力されており、検索端末で様々な目的に応じて素早い検索が可能です。
目次を含む情報がデータベースに入力されており、検索端末で様々な目的に応じて素早い検索が可能です。

戦中戦後を過ごした子供たちが実際に手に取っていた雑誌なども読むことができます。
戦中戦後を過ごした子供たちが実際に手に取っていた雑誌なども読むことができます。

『私が子供だった頃』は、どのように活用していただけるのでしょうか?

「御寄贈いただいた図書は、著者名や出版者名などの書誌情報と目次情報を入力し、図書室の収蔵資料データベースに登録した後、管理用のバーコードや背ラベルをつけて、図書室の利用者の閲覧に供します。
収蔵資料データベースは来館者の方が利用するだけでなく、『昭和館デジタルアーカイブ』でも公開しているので、昭和館に来館しない方でも目次情報などから資料に興味を持つきっかけになることもあります。」

昭和館に届いた『私が子供だった頃』本を持っているのは 図書情報部 財満 幸恵さん昭和館に届いた『私が子供だった頃』
本を持っているのは 図書情報部 財満 幸恵さん

『私が子供だった頃』は、母の母校や地元の図書館に寄贈はしましたが、自費出版で、印刷した部数も多くなく、これまで限られた方にしか読んでいただけませんでした。しかし、今回、昭和館の収蔵資料として加えていただき、多くの方が閲覧できる機会を作っていただき大変うれしく感じています。

この他、図書室では、当時刊行された図書やその理解を深める歴史書、各地の戦災記録等の図書をはじめ、都道府県史および市町村史、企業史、公刊戦史等の関連図書が閲覧できます。また、新聞縮刷版、地図、海図、逐次刊行物(雑誌・新聞・年鑑など)も利用できるそうです。
ただ、資料は貴重なものが多いため、資料の館外貸出しは行っておらず、図書室内での閲覧となるそうです。

この他、戦中戦後の国民生活を伝える常設展示室や映像・音響室などの施設も

常設展示室 「家族の別れ」常設展示室 「家族の別れ」

6階、7階の常設展示室では、昭和10年頃から昭和30年頃までの国民生活を伝える実物資料等を展示しています。実物資料の収蔵点数は約64,000点です。
展示室では、「家族の別れ」「家族への想い」「統制下の暮らし」「戦中の学童・学徒」「銃後の備えと空襲」「廃墟からの出発」「子供たちの戦後」などのタイトルがつけられ、そのブースごとに、関連する実物の資料などがわかりやすく展示されています。

常設展示室 「戦中の学童・学徒」常設展示室 「戦中の学童・学徒」
常設展示室 「銃後の備えと空襲」常設展示室 「銃後の備えと空襲」

実寸大の「防空壕」模型で、防空壕の狭さ、B29の飛行音・爆弾の落下音・炸裂音と振動など空襲の怖さを体験できるコーナーなどもあります。

防空壕体験防空壕体験

また、当時多くの子供たちの主な仕事だった米つきを体験したり、井戸ポンプなどを使って水くみの大変さを実感できるコーナーなどもあります。

米つき体験米つき体験
井戸ポンプなどを使っての水くみ体験井戸ポンプなどを使っての水くみ体験

さらに、5階の映像・音響室では、戦中・戦後の人々のくらしを主とした写真(約32,000点)や映像(約3,600点)、SPレコードの音源(約14,000点)など、様々な資料を14台の検索端末から簡単に呼び出して視聴することができます。

映像・音響室映像・音響室

例えば、国内外の写真家、カメラマンが撮影した昭和10年頃から昭和30年代を中心とした記録写真や映像、世相を反映したニュース映画、SPレコードに録音された楽曲、東京大空襲を描いた絵画などが端末を通して見られるそうです。

私もこれまで、戦争を語り継ぐという思いで、戦争を体験された方の話を聞いたり、戦争に関する企画展や戦跡などを訪れたりしてきましたが、昭和館を見学したことはなく、このような膨大な展示や映像などを見ることのできる昭和館をぜひ訪れて、さらに学びを深めたいと感じています。

あの時代を振り返って・・未来に向けての想い

『私が子供だった頃』は最後に母の戦争への思いで締めくくっています。以下本の抜粋です。

『私が子供だった頃』は最後に母の戦争への思いで締めくくっています。以下本の抜粋です。

「戦争が始まる前は、質素だけれどものどかな日常があり、美しく広がる田園風景の中で、私たちはのびのびと穏やかに暮らしていました。しかし、戦争によってその生活は本当に一変しました。10代の前半は、勤労奉仕・食糧難・空襲・・とさまざまな苦労を味わい、困難と戦いながらの生活でした。

想像してみてください。小学生が霜の日もはだしで登校し、勤労奉仕をさせられていた日常を・・。そして、いつ空から爆弾が落ちてくるかわからない、いつ機銃掃射にねらわれるかわからない、そんな死と隣り合わせの日常を・・そして、住む場所を失い、大事な人を失い、青春を失い、さまざまな大切なものを失った人々がどれほどたくさんいたことか・・。

この時代を生きてきた私たち世代が若い人たちに伝えたいこと。月並みな言葉かもしれませんが、心の底から強く願うことは、「平和の大切さ」です。戦争のない社会です。戦争は、戦地に行った兵隊だけではなく、その家族・残されたすべての人々が巻き込まれ、すべての人の穏やかな日常を奪います。そして、戦争では、人が人の命をためらうことなく奪う、恐ろしい状況が生まれるのです。平和な日々は、人々の心を豊かに育みますが、戦争は人の心を悪く変えていきます。

広島・長崎への原爆、沖縄の地上戦、東京大空襲・・日本各地で、さまざまな、悲劇が起きました。そして、この私たちの住んでいた川内でも、戦争の悲劇があったことを忘れないでほしいと思います。

そして、今なお世界の各地で起こっているさまざまな争いに心を痛めています。私たちの子供や孫の時代、そして将来にわたって、ずっと戦争に巻き込まれるような時代にならないことを強く願っています。
戦争は二度と繰り返してはいけません。」

母は今年90歳になりました。今は介護施設に入りましたが、絵をかいたり、好きな歌を歌ったり、無理をせず穏やかに過ごしています。今回、昭和館への寄贈の話をしたところ、大変喜び「光栄なことだね。今思い出しても戦時中は本当に大変だったから、できるだけ多くの人に読んでもらって、戦争の悲惨さを伝えられたらいいね。お母さんもまだまだ元気で生きなきゃね。」と話していました。

大変喜び「光栄なことだね。今思い出しても戦時中は本当に大変だったから、できるだけ多くの人に読んでもらって、戦争の悲惨さを伝えられたらいいね。お母さんもまだまだ元気で生きなきゃね。」と話していました。

およそ80年前、鹿児島県薩摩川内市に住んでいた一人の少女の戦争体験記を、戦中・戦後の国民生活上の労苦を伝える一つの資料として加えていただくことの意味の大きさを感じています。それは、何も特別な人ではない、田舎で暮らす一人の子供だった母の日常が、戦争を伝える事実になるという事です。
改めて一人一人が経験した記憶を記録すること、後世に伝えていくことの大切さを痛感しています。
私たち「てのん」でも、これからも地道にコツコツと戦争体験の証言を積み重ねていけたらと思っています。

ところで、昭和館では巡回企画展を開催します。

詳細は以下の通りです。

くらしにみる昭和の時代 奈良展くらしにみる昭和の時代 奈良展
くらしにみる昭和の時代 奈良展

この他にも昭和館ではさまざまな企画展や次世代の語り部事業なども行っています。
それについては、次回、ご紹介します。

■昭和館のサイト

 

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