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「福祉」

ホームホスピス「あんまぁの家」は終の棲家 最期まで自分らしく…


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7月25日、鹿児島で2件目となるホームホスピス「あんまぁの家」が産声をあげました。ホームホスピスとは、病気や障がいなど様々な事情で、自宅で生活することが難しくなった人たちが、24時間の見守りとケアを受けながら暮らすもう一つの「家」です。立ち上げたのは、看護師として長年医療現場の最前線に立ち続けてきた山下初枝さんです。山下さんはなぜホームホスピスを目指したのか、そこで何を叶えようとしているのか。その思いを伺いました。

山下さんとの出会い

ホームホスピス「あんまぁの家」を立ち上げた山下初枝さんホームホスピス「あんまぁの家」を立ち上げた山下初枝さん

私が山下初枝さんと出会ったのは、10年以上前のことです。山下さんは当時、鹿児島市の大きな病院で看護師長をしていました。その病院は療養型の病院で、急性期や回復期の治療を終えたものの、医療依存度が高く退院できない人や寝たきりや認知症になって家に帰りたくても帰れないご高齢の方たちがたくさんさんおられました。

当時、私は、介護相談員という仕事をしていて、こうした方々のご要望を聞き、その声を責任者の方にお伝えする仕事をしていました。この時、出会ったのが山下さんでした。それまでたくさんの方にお会いしてきましたが、山下さんは、とても印象的で忘れられない師長さんでした。

家に帰れない患者さんのために、自宅にちょっと立ち寄れるドライブを計画したり、患者さんの毎日が退屈にならないように、談話室でのレクリェーションを工夫したり、昼間は病室にポータブルトイレは置かずに、スタッフが時間ごとにトイレ誘導をするなどしていました。どれも人手も手間もかかることですが、限られた環境の中で患者さんの尊厳を大切にし、想いに寄り添おうとする温かい看護姿勢を感じ、心打たれるものがありました。

看護師長を辞めての転身

その山下さんと再会したのは、3年前の秋、思いがけない場所でした。日置市伊集院町にできた鹿児島で初めてのホームホスピス「もくれんの家」での取材中のこと。山下さんが「もくれんの家」で働いていたのです。仕事着も、白衣からエプロンに大変身。入居されている方たちのお世話や食事づくりを楽しそうにしている山下さんは、以前にも増してハツラツとしていました。

もくれんの家で食事づくりをする山下さん(右)もくれんの家で食事づくりをする山下さん(右)

「山下さん、またどうして?」と聞くと、満面の笑顔で、「ホームホスピスのことを知って、私も目から鱗。衝撃を受けて、仕事辞めました。(笑)私もホームホスピスをつくります。今ここで研修中なんです。(笑)」と。

研修中の山下さん(もくれんの家)研修中の山下さん
(もくれんの家)

この時、ホームホスピスの名前は、もう決まっていました。「NPO法人ホームホスピスゆいたばー・あんまぁの家」です。それは、山下さんの故郷、鹿児島最南端にある小さな島、与論島の島言葉に由来する名前でした。ゆいたばーとは、「おたがいさま」あんまぁは、「おかあさん」という意味なんだそうです。山下さんがつくるホームホスピスってどんな家になるんだろう。私はとても楽しみになりました。

もくれんの家で研修中だった頃の山下さん(2020年10月)もくれんの家で研修中だった頃の山下さん
(2020年10月)

ホームホスピスってどんなとこ?

改めてホームホスピスとはどんなところなのでしょうか?以前、「てのん」でも
鹿児島第一号のホームホスピス「もくれんの家」の記事の中でご紹介しました。

鹿児島初のホームホスピス「もくれんの家」を訪ねて
鹿児島初のホームホスピス「もくれんの家」を訪ねて「ホームホスピス」まだ聞きなれない言葉かもしれませんが、病いや障がいがあっても最期までその人らしく暮らせる地域の中にあるもうひとつの「家...

民家(一軒家)を利用して5~6人の少人数が家庭のような雰囲気で共に暮らし、それを24時間体制で介護スタッフや医療連携チームが支えるというものです。始まりは2004年、宮崎に誕生した「かあさんの家」でした。家に帰れない人が、人生最期の時まで、自分らしく安心して暮らせる場所があったらとの思いからスタートした「かあさんの家」は、病院でもない、施設でもない新しい在宅ホスピスの形として注目を集め、その志に共感した人たちの間で全国各地に広がってきました。

「あんまぁの家」ができた!

あれから3年。今年6月が終わる頃、山下さんから、ホームホスピスを開所する運びとなったという知らせが届きました。開所前の大忙しの時でしたが、これまでのこと、これからのことを聞きたくて早速、山下さんに会いに行きました。

あんまぁの家(鹿児島市吉野町)あんまぁの家(鹿児島市吉野町)

あんまぁの家は、山下さんの自宅のすぐ近くの鹿児島市吉野町の高台にありました。広々とした敷地に建つ平屋の民家はとても開放的で、晴れた日には、遥か向こうに桜島を望める絶景の場所にありました。「良いところでしょ。この家に辿り着くまで、50件以上回って、家探しに3年近くかかりました。(笑)」と山下さん。

「この家に辿り着くまで、3年近くかかったんですよ。」「この家に辿り着くまで、3年近くかかったんですよ。」

母親をここで看取り、空き家となっていたこの家との出会いがあり、この家を購入。リフォームを経て、最大7名を受け入れることができる「あんまぁ」の家が完成しました。

バリアフリーのリフォームが施され…バリアフリーのリフォームが施され…

バリアフリーのリフォームが施され…
屋久杉で作った玄関の表札は、夫の達郎さんと知り合いの大工さんの手づくり
です。
屋久杉で作った玄関の表札は、夫の達郎さんと知り合いの大工さんの手づくり です。
和室が落ち着くという方のために畳の1人部屋も準備しました。
和室が落ち着くという方のために畳の1人部屋も準備しました。
地域の方たちとの交流の場になればと、スロープで広縁と繋がるウッドデッキも作りました。
地域の方たちとの交流の場になればと、スロープで広縁と繋がるウッドデッキも作りました。
随所に山下さんの思い入れが伝わってくる温もりのある家でした。

「やらないで後悔するより、やって後悔したい」

改めて聞いてみたいことがありました。離島での地域医療、急性期医療、慢性期医療と30年以上にわたって医療現場を経験し、看護責任者でもあった山下さんがその職を捨ててまでホームホスピスをやりたいと思ったのは、何だったのか。

NPO法人ホームホスピスゆいたばー「あんまぁの家」理事長山下初枝さんNPO法人ホームホスピスゆいたばー「あんまぁの家」理事長
山下初枝さん

「これまで、自分の家に帰りたいけど、帰れない、そんな気持ちを抱えながら、病院で亡くなっていく人たちをたくさん看取ってきました。何とかしてあげたくても病院でできることには限界があり、その思いに応えてあげられない歯がゆさがありました。責任者としての管理業務や立場から自由にできないことも多くなってきて、私、このまま看護の現場の仕事だけで終わっていいのかなという気持ちが大きくなっていきました。そんな時にホームホスピスの存在を知って、自分の家ではないけれど、ここだったら一人ひとりの人生に寄り添いながら、最期までその人らしく暮らせることをお手伝いすることができるんじゃないか、やってみたいと思ったんです。『今やらないで後悔するより、やって後悔したい』何かに突き動かされるような気持ちでした。」

職場と掛け合い、家族の了解をもらい、山下さんは、半年間宮崎のマンションに住み込んで、「かあさんの家」での研修に臨み、ホームホスピスとは何たるかを学んできました。
「やっぱり、人としてそれぞれが歩んできた人生を大切にして、その方々に寄り添うケアをする、これに尽きるんじゃないでしょうか。終末期の方には添い寝してあげたり、手を握ってあげたり、ご家族に泊まってもらって一緒に過ごす時間を持ってもらったり、そんな当たり前のことをしてあげられる、安心して身をゆだねられる場所でありたいと思っています。」

メットライフ財団×日本財団の大きなサポートを得て

今回、山下さんのホームホスピスは、メットライフ財団×日本財団の「高齢者・子どもの豊かな居場所プログラム」のサポートを受けて開所することになりました。このプログラムは、2021年9月に開始されたもので、メットライフ財団から日本財団への寄付により、メットライフ生命保険会社と日本財団が全国に高齢者ホスピス10か所と困難な状況の子どものための施設「子ども第三の居場所」2ケ所を開設するというプロジェクトです。誰一人取り残さない持続可能な社会の構築を目指す中、超高齢社会の日本にとって高齢者ホスピスの果たす役割は大きなものがあるとして、開設に向けての資金的な援助を行っているのです。あんまぁの家は、高齢者ホスピスとして2ケ所目の開設ということで7月25日の開所式は、メットライフ生命保険会社や日本財団の関係者も出席して行われました。

地元の実方公民館での開所式(2023年7月25日)地元の実方公民館での開所式
(2023年7月25日)

地元の実方公民館での開所式(2023年7月25日)
開所式には、ホームホスピスの生みの親で全国ホームホスピス協会の理事長の市原美穂さんも駆けつけました。

全国ホームホスピス協会・理事長 ホームホスピス宮崎・理事長の市原美穂さん全国ホームホスピス協会・理事長 ホームホスピス宮崎・理事長の
市原美穂さん

市原さんは、「あんまぁの家は全国で67番目のホームホスピスです。ホームホスピスは、制度のないところに生まれ、必要だからやりたいという人たちの手によって、扉が拓いてきました。この小規模な小さな家族、ともに暮らす仕組みは、地域の応援が無ければ成功しません。地域に必要とされる場所になるよう育てていってほしい。」とエールを送りました。
この後、あんまぁの家の前でメットライフ生命保険会社、日本財団の関係者と共にテープカットが行われ、開所を祝いました。

あんまぁの家の前でテープカットあんまぁの家の前でテープカット

ホームホスピスを立ち上げるにあたっては、個人の志だけでは困難を伴うことが多く、山下さんにとっても財団からの資金的な援助は大きな力になりました。山下さんは「バリアフリー化など家の改修費用を負担してもらったんですよ。本当に有難かった。」と話します。メットライフ生命保険会社では、今後も行事や清掃活動への参加や、入居された方々の人生、生きた歴史を伝え残す聞き書き活動など、継続的に支援していくことにしています。ひとりの思いからスタートしたホームホスピスづくりが、社会的にその必要性を認められ、後方支援を受けながらその扉が拓いてきたことに、とても力強いものを感じました。
メットライフ生命保険会社では、今後も行事や清掃活動への参加や、入居された方々の人生、生きた歴史を伝え残す聞き書き活動など、継続的に支援していくことにしています。
あんまぁの家は社会的使命や期待を背負ってスタートすることになったのです。
そして、これから地域の拠り所として大きく成長することを願って、みんなで鹿児島のシンボル、桜島小ミカンの木を植えました。

あんまぁの家が地域に根づくことを願って…あんまぁの家が地域に根づくことを願って…
桜島小ミカンの木をシンボルツリーに…桜島小ミカンの木をシンボルツリーに…

初の住人さんとその家族

開所の日、入居第一号の池田勢津子さん(87)とそのご家族に会うことが出来ました。ご本人やご家族は、どのような思いで、ここでの暮らしを選択したのでしょうか。

池田正巳さん、勢津子さんご夫婦池田正巳さん、勢津子さんご夫婦

勢津子さんは、夫の正巳さんと二人暮らしでした。認知症や視力低下などのため、不安傾向が強く、夜眠れないことや夜間の頻尿に悩まされてきました。夫の正巳さんは、勢津子を献身的に介護してきましたが、自身も体調を崩し、入院することに。正巳さんに代わって、ふたりの娘さんたちも交代で介護を担いましたが、家庭や仕事との両立が難しく、勢津子さんは、介護施設でのショートステイを利用していました。自宅に帰ることが難しくなり、勢津子さんの終の棲家として、ここでの暮らしを決意しました。夫の正巳さん(83)はこう話します。
自宅に帰ることが難しくなり、勢津子さんの終の棲家として、ここでの暮らしを決意しました。
「私は、これまでは元気でいたんですけど、手が動かなくなってしまって、どうにもならなくて…家で最期まで看るつもりだったんですけど…」
「私は、これまでは元気でいたんですけど、手が動かなくなってしまって、どうにもならなくて…家で最期まで看るつもりだったんですけど…」
「私は、これまでは元気でいたんですけど、手が動かなくなってしまって、どうにもならなくて…家で最期まで看るつもりだったんですけど…」
妻を最期まで看てあげられなくて、申し訳ないという気持ちが伝わってきました。長年連れ添ったご夫婦が離れ離れになるってこういうことなのだと、正巳さんの切なさが伝わってきました。

「時々会いに来るからね。」「時々会いに来るからね。」

長女のゆかりさん、次女のさおりさん、孫の綾乃さんもふたりの様子を温かく見守ります。

2人の娘さんとお孫さんと…2人の娘さんとお孫さんと…

「母は、自宅にいる時、山下さんの所のヘルパーステーション(ヘルパーステーション ゆいたば―)にお世話になっていたんです。そこからのお付き合いがあって、ここだったら安心して託せるという思いがありました。父の介護も限界を迎えていましたし、母にはここでゆったりと幸せに過ごしてほしいと願っています。」
一晩「あんまぁの家」で過ごした勢津子さんの表情は、とても穏やかでした。

「ゆうべはいかがでしたか…」「ゆうべはいかがでしたか…」

「ゆうべは6時間ぐっすり眠れました。こんなことは初めてです。夜中でもパッと起きてトイレに連れて行って下さるし、私が困っていること、細かいところまで見て下さってお世話して下さる。私には最高のところです。長生きすると思います。」
そして、昨晩の夕食にニガウリとナスの味噌炒めが出て美味しかったこと、昔のことを懐かしく思い出したことなどを話して下さいました。

「穏やかな笑顔を見られて少しホッとしました。」と正巳さん「穏やかな笑顔を見られて少しホッとしました。」と正巳さん

この新しい家が勢津子さんやご家族にとって、もう一つの家になるには、まだしばらくの時間がかかるかもしれません。ご家族との繋がりを大切にしながら、勢津子さんにとって、ここが居心地の良い第二の家となることを心から願いました。
ご家族との繋がりを大切にしながら、勢津子さんにとって、ここが居心地の良い第二の家となることを心から願いました。

私たち家族を見守り育ててくれたこの地域に恩返しがしたい

ホームホスピスを立ち上げるにあたって山下さんがこだわったのが、自分の暮らすこの地域でやりたいということでした。山下さんは、20代の頃から故郷、与論島の病院で看護師として15年ほど勤務してきましたが、透析が必要となった夫の達郎さんの治療のため、5人の娘と共に一家7人で鹿児島市へ転居することを決意し、ここ吉野町の実方地区に引っ越してきました。この時、末娘はまだ1歳でした。小さい子供たちを抱えての知らない土地での暮らしは不安がいっぱいだったそうですが、地域の人たちが、温かく迎え入れてくれて、娘たちを我が子のように可愛がってくれたそうです。

一緒に遊んでくれたり、お茶やご飯をごちそうになったり、共働きで忙しかった山下さん夫婦に代わって、子どもたちの育ちを支えてくれました。山下さんは、実方の人たちの『ゆいたば―(お互いさま)精神』に助けられて、ここまでくることができたと話します。「今度は、私たちがこの地域に恩返しをする番。」その気持ちは家族も一緒で、夫の達郎さんも昨年ヘルパー2級の資格を取得しました。4女のこなみさんもヘルパーとしてNPO法人ゆいたばーの貴重な戦力となって奮闘しています。

夫の達郎さんと4女のこなみさん。どちらも貴重な戦力です!夫の達郎さんと4女のこなみさん。どちらも貴重な戦力です!
NPO法人ホームホスピスゆいたばー「あんまぁの家」理事長山下初枝さんNPO法人ホームホスピスゆいたばー「あんまぁの家」理事長
山下初枝さん

「ゆくゆくは、地域の人たちが気軽に遊びに来てくれるようなホッとできる居場所になればと思っています。地元の小中学校や高校の通学路も近いので、子どもたちが学校の行き帰りに立ち寄って、ここのじいちゃん、ばぁちゃんたちと話をしたり、地元の人たちと一緒に味噌づくりやよもぎ餅づくりを楽しんだり、交流していければなぁと思っています。また、介護や認知症など地域のみなさんの困りごとや悩みごとなどを受け止める駆け込み寺のような存在にもなれたらと思っているんです。」
介護や認知症など地域のみなさんの困りごとや悩みごとなどを受け止める駆け込み寺のような存在にもなれたらと思っているんです。

開所から2ヶ月、新しい住人さんを迎えて…

9月下旬、開所から2か月経ったあんまぁの家にお邪魔しました。開所の日、勢津子さん一人だった住人さんは、5人に増え、近くまた新しい住人さんが仲間入りする予定です。

あちらこちらから生活の匂いが…あちらこちらから生活の匂いが…

認知症が重くなり、一人暮らしが難しくなった紀子さんは、食事の後のお皿洗いなどを手伝って下さるそうです。
認知症が重くなり、一人暮らしが難しくなった紀子さんは、食事の後のお皿洗いなどを手伝って下さるそうです。
入院中、点滴とトロミ食で体力が落ちていた愛子さんは、食事を完食できるまでになりました。
入院中、点滴とトロミ食で体力が落ちていた愛子さんは、食事を完食できるまでになりました。
がんを患っている人、脳梗塞の後遺症で寝たきりの人など、抱えている問題はそれぞれですが、一つ屋根の下「最期まで自分らしく生きる」を叶えるための「とも暮らし」が始まっています。

スタッフの染川睦子さんと…スタッフの染川睦子さんと…

これまで看護師として100名以上を看取ってきたという山下さんには、与論島での看護師時代に経験した忘れられない看取りがあります。100歳近かったそのおじいちゃんは、年をとられてからも、自宅で好きな三味線を弾きながら、子どもや孫たちに囲まれて過ごし、最期の日は自宅で、家族や親戚、となり近所の人たちに見守られながら、静かに穏やかに息を引き取られたそうです。悲しいけれど温かさを感じるお別れでした。

多くの人が自宅で最期を迎えたいと願いながら、それを叶えることが難しくなっている今、ホームホスピスという「もうひとつの家」がそんな役割を果たすことができたら…それが山下さんの願いです。気持ちを一つにしてくれるスタッフと共に、ここでの暮らす人たちの人生にとことん寄り添い、共に歩んでいく覚悟です。

これからもスタッフと共に…これからもスタッフと共に…

理念に掲げた「ゆいたば―(おたがいさま) ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」の精神が大きく広がっていきますように…

ホームホスピスの生みの親、市原美穂さんの講演会があります

11月4日(土)かごしま県民交流センターで、NPO法人ホームホスピスゆいたばーあんまぁの家の開所式記念公演として全国ホームホスピス協会・理事長でホームホスピス宮崎・理事長の市原美穂さんの講演会があります。記念公演では、沖縄の琉球舞踊や琉球国祭り太鼓エイサー踊りなども予定されています。入場料は無料です。ホームホスピスにご興味のある方は、足をお運びください。

NPO法人ホームホスピスゆいたばーあんまぁの家
開所式記念公演

日時: 令和5年11月4日(土)
場所: かごしま県民交流センター2階中ホール
時間: 13:00~受付  13:30~開演
入場料:無料

※あんまぁの家の詳しい内容はこちらをご覧ください。

 

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