今月7日、鹿児島で障がい児教育の始まりを創られた大坪敏夫先生が亡くなられました。
97歳でした。
「てのん」が産声を上げた、2年前の夏、てのんの「人ものがたり」に初めてご登場いただいたのが大坪先生でした。柔らかで穏やかな物腰で、私たちにこれまで歩んできた長い人生の物語をお聞かせいただきました。
その温かい眼差しに胸が熱くなり涙が流れることもありました。聴き取ったお話が幾つもの記事になりました。「てのん」の原点のような先生から聴きとったお話を、先生への追悼の意味を込めて改めてご紹介させて頂きたいと思います。
障がいをもつ子どもたちとの触れ合いものがたり
戦後、まだ障がいをもつ子どもたちの教育に目が向けられていなかった頃、大坪先生は、鹿児島でその始まりの道をつくってこられました。
道なき道を子どもたちと探り探りしながら歩んだ日々。温かく心に沁みいるおはなしでした。先生は子どもたちのことを自分に色々なことを教えてくれる「天使たち」と呼んでいました。
福祉や教育、子育てなど様々な分野に身を置く方々に聴いていただきたいお話でした。

生き方の達人 大坪先生から「老いを生きる心」を学ぶ
『毎日やるべきことをやって、あとは天におまかせ』と話されていた大坪先生。
当時、老人ホームでお暮しでしたが、「好きなこと」や「やるべきこと」をしっかりとこなされ、その晴れやかな笑顔が忘れられません。
老いを生きていくことの豊かさを教えていただきました。

大坪先生の著書「歩きはじめた小さな天使たち」
大坪先生と障がいをもつ子どもたちの記録をまとめた著書の中から、障がいをもつ子どもたちの詩(うた)をご紹介しました。一人ひとりの子どもたちの心の声が、深く胸に響きその声を届けたいと思いました。


「天使たち」の本から生まれた不思議な出会いものがたり
大坪先生の取材を通して、不思議な出会いが生まれ、記事にさせて頂きました。その取材の中で、先生と一緒に鹿児島で障がい児教育の草創期を担った知的障がい者の支援施設「しょうぶ学園」の創設者・福森悦子先生と大坪先生が55年ぶりの再会を果たすという場に立ち会うことが出来ました。


戦争のお話 終戦間近、本土決戦に備えた日々
戦争一色の時代に育った大坪先生は、志願して軍人の道を選びました。戦争はご自身の人生の最も強烈な体験として残っておられ、この体験を次の世代の人に伝えたいという思いを強く持っておられました。
取材では、記憶違いや表現の違いが無いか、私たちと何度もやり取りして、ご自身の体験した戦争の記録を記事にさせて頂きました。「これで一つやるべきことを果たせたような気がする」と話されていたことが印象的でした。

おわりに
「人」から「人」へのことづてをお伝えしたいと始まった「てのん」
大坪先生の人生のものがたりを振り返りながら、長い人生の中から、教えていただいたことが、どんなに多くあったことかと改めて感じています。
時折、お電話を下さって、再会をお約束していました。鹿児島の言い伝えや歴史のお話など、もっともっとお話をしたいとおっしゃっていました。
ご自身の中にある「生きた歴史」を惜しみなく私たちにお伝えして下さったことに心から感謝し、大坪先生からの「ことづて」が、これからも誰かの心を耕し、灯してくれると信じています。
大坪敏夫先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。