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「生き方」

御年89歳のヤス子さんが歌うシャンソン  家族に生きる喜びと感謝を伝えたい


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日置市に住む安藤ヤス子さんとお知り合いになったのは、今から5年ほど前のこと。ご自身の戦争体験を語って下さったのがご縁の始まりで、以来折にふれてご連絡をくださるようになりました。前向きで好奇心旺盛、いつお話しても「今が一番幸せ」とおっしゃるヤス子さんは、年齢などどこ吹く風。3年前には、タンゴを踊れるようになりたいとレッスンに励む姿も取材させていただきました。そして今、ヤス子さんはシャンソンを練習中です。89歳を迎えることのできた感謝の気持ちを、シャンソンにのせて家族に伝えたいと思ったのです。チャレンジがとまらないヤス子さんのお話です。

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シャンソンをもういちど

ヤス子さんがシャンソンに出会ったのは60歳代半ば、当時暮らしていた千葉で友人に誘われて参加した勉強会でのことでした。
「作曲家の先生が開いているトレビアンというシャンソンの勉強会で、誰でも参加できる会でした。ティータイムもあって楽しいひとときでした。」

歌ってみませんかと背中を押されて初めてチャレンジしたのが「枯葉」。初心者のヤス子さんのために会のメンバーが手書きの歌詞を手渡してくれて、おかげで気持ちよく歌うことができました。
「なんてすばらしいのかしらと思いました。ここでは下手でも一生懸命なら大丈夫、どんな人でもシャンソンを歌うことができました。素敵な先生と仲間たちに出会えました。」

仲間とともに歌うヤス子さん仲間とともに歌うヤス子さん

夫の看病や親の遠距離介護で勉強会に参加できない時期もありましたが、ヤス子さんは10年あまりシャンソンに親しみ、発表会のステージにも立ちました。

発表会のステージでシャンソンを歌うヤス子さん発表会のステージでシャンソンを歌うヤス子さん

79歳で鹿児島に帰郷してからはシャンソンを練習する機会はありませんでしたが、90歳の節目を前にもう一度歌おうと思い立ちました。

「シャンソンって、人生体験がその人の糧になって歌に出てくると思うんです。年を重ねて89歳になった今、もう一度練習して家族に聞いてもらいたいと思いました。私の人生と、家族への感謝の気持ちが伝わればと思っています。」
ヤス子さんは、家族を集めて小さなリサイタルを開くことにしました。

感謝を込めてシャンソンを

ヤス子さんが練習しているのは、日置市の小さなカフェ。このカフェのオーナーと親しくしているヤス子さんは、オーナーのピアノの先生でジャズピアニストの博多俊輔さんを紹介してもらい、今年の7月から博多さんの伴奏で練習を重ねています。

左からCafe Jオーナーのリジュンギョンさん ジャズピアニスト博多俊輔さん 安藤ヤス子さん左からCafe Jオーナーのリジュンギョンさん ジャズピアニスト博多俊輔さん 安藤ヤス子さん

リサイタルはこのカフェで開き、ヤス子さんが選んだ6曲を披露する予定です。「愛の賛歌」や「枯葉」、「バラ色の人生」といったなじみのある曲に加えて、ヤス子さんのもう一つの趣味、社交ダンスのタンゴの楽曲がもとになった曲もあり、自分らしいプログラムに仕上げました。初めて歌う曲もありますが、歌詞はすべて暗記して、「枯葉」はフランス語で歌うつもりです。アンコール曲も用意しています。

「今日が7回目のレッスンなんです。でも、前回のレッスンからは久しぶりですから、声が出るかしら。歌詞も忘れてないかしら。」
ヤス子さん、少しはにかみながら歌いはじめました。

初めて歌う曲もありますが、歌詞はすべて暗記して、「枯葉」はフランス語で歌うつもりです。アンコール曲も用意しています。

華奢な体からは想像もつかない力強い声。歌う喜びが伝わってきて、胸に響きます。博多さんの伴奏は、ヤス子さんをそっと見守り寄り添うような優しい音色で、お二人が紡ぎ出す歌の世界に心が温かくなりました。

博多さんの伴奏は、ヤス子さんをそっと見守り寄り添うような優しい音色で、お二人が紡ぎ出す歌の世界に心が温かくなりました。
博多さんは、ヤス子さんの歌いっぷりに感心しきりです。
「ヤス子さんはほんとうに素晴らしいですよ。このお歳でこれだけ歌えるってすごいです。毎回びっくりしています。」
およそ1時間の練習で歌った曲は5曲。さぞかしお疲れになったのではと思いきや、ヤス子さんは元気いっぱいです。
「シャンソンの練習をした日は、なんだかとってもからだの調子がいいんですよ。血圧も下がってしまうんです。」
ヤス子さんは、来年もその次も、歌える限り家族への感謝のリサイタルを開いて、みんなに楽しんでもらうつもりです。

いくつまでできるか挑戦しましょ

太平洋戦争のさなかに少女時代を過ごし、戦後は結婚、子育て、仕事に介護と懸命に生きてきたヤス子さん。大切な人との別れや体の不調などつらいこともありましたが、どんな時も希望を持って歩んできました。

「いつかきっといいときが来ると信じて、自分にできることを一生懸命やってきました。今は人生の延長戦みたいなものですから、やりたいと思うことはやって、生かされている命を輝かせたいなって思います。」

3年前にタンゴにチャレンジしたのも、踊れる体力があるうちにと思ったから。社交ダンス教室の発表会で踊ることが目標でした。

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ところが、ほどなくしてコロナ禍に見舞われ、さすがのヤス子さんも外出を控える日々に。思うように練習できず、発表会も延期に延期を重ねていましたが、この春ようやく開催され、ヤス子さんは念願のタンゴを披露しました。

マスク姿でのタンゴとなりましたマスク姿でのタンゴとなりました

「次の発表会ではワルツを踊ってみたいなって思っているんです。この歳になってせっかく自分の好きなことができるようになったんですもの、いくつまでできるか挑戦してみましょって思ってます。」

ちょっと肩をすくめながらにっこりほほえむヤス子さんは、とてもチャーミング。いくつになっても、ワクワクすることを見つけてチャレンジする生き方が素敵です。これからもずっとお元気で、「人生の延長戦」を楽しむ姿を見せていただきたいです。

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