立春を過ぎても底冷えのする日が多くて、今年の寒さはなかなか暇を告げてくれません。それでも春は来ていますよ、と報せてくれるのが梅の花ですね。まだ冬枯れの景色にあかりを灯すように咲く梅にはほれぼれします。散歩をしているとき、車を走らせているとき、あちこちで梅の花に出会えるのは、この時期だけの幸せです。せっかくなので、広い空の下でゆっくり梅の花を眺めようと思い、臥竜梅がある姶良市の寺師菅原綱天神社に出かけてきました。
臥竜梅は年老いても
出かけた日は、雪まじりの冷たい風が吹くあいにくのお天気でしたが、雲の切れ間から顔を出すおひさまは春めいていて、梅にはお似合いの日和。姶良市の寺師へは急ぐ旅でもなし、のんびり山道をゆくことにしました。県道40号伊集院・蒲生・溝辺線を走ると、山のふもとや広々とした田んぼのそばに、美しい石垣と手入れの行き届いた生垣の家が点在していて、広々とした庭には紅梅や白梅が見事な花を咲かせていました。庭は、住む人だけでなく行きかう人も和ませてくれるのですね。家主さんに感謝です。道すがら梅見を楽しんでいるうちに、臥竜梅がある寺師菅原綱天神社に着きました。
ちいさなお社を囲むように梅が咲いています。
観光案内版には、寺師の臥竜梅にまつわる伝説が紹介されていました。都を追われた菅原道真公が寺師の地にたどりついたとき、貧しい老婆が家に招き入れて、船の綱を巻いて敷物の代わりにしてもてなしたそうです。道真公は、お礼に梅の種をまいて立ち去り、その梅がやがて大きくなって臥竜梅になったとか。この寺師の臥竜梅は、姶良市の指定文化財になっています。ただ、台風などで樹勢が衰えて多くが枯れてしまい、今では数本しか残っていないようです。臥竜梅といえば、竜が伏せたような姿を思い浮かべますが、一目でそうとわかる梅の木は、すぐには見つけることができませんでした。これかな、という梅の木はすっかり年老いて朽ち木のようでもあり、花も咲かせてはいませんでしたが、そのたたずまいは力強くて古老のようでした。
老いた梅の木の近くには若い梅の苗木が植えられていて、敷地のまわりには「寺師菅原綱天神社」と書かれた真新しいのぼりがいくつもはためいていていました。地域の宝物を何とか引き継いでいこうという思いが伝わってきました。明治35年に鉄道が開通したのちに梅の名所として知られるようになり、最寄り駅に臨時列車が仕立てられたこともあったという寺師の臥竜梅。古老の梅が見てきた賑わいが、また戻ってくる日がくるといいなと思います。
住吉池にちょっと寄り道
帰り道、道路沿いの「住吉池」の看板に誘われて、ちょっと寄り道することにしました。姶良市蒲生町にある住吉池は、およそ8000年前のマグマ水蒸気爆発によるマールと呼ばれる地形にできた池です。荒ぶる地球の記憶をとどめる住吉池。活火山だなんてとても信じられません。今はしんと静まりかえって、ときおり風の足跡のようにさざ波が立つばかりです。
まわりにはキャンプ場やバンガローがあり、オープンしている夏場はにぎわうのでしょうけれど、今は閑散としていて、聞こえてくるのは鳥の声と木々のざわめきだけ。耳を澄ますと、ちりりりっと小さな鈴を鳴らすようなエナガの声が聞こえました。見上げると、葉を茂らせた木の枝から枝へ、10羽ほどの群れが目にも止まらぬ速さで飛び回っています。
池の水面には、黒い体に白いおでことくちばしのオオバンが漂っていました。なんだか垢ぬけた装いです。
小高い所に登ると、遠くに桜島が見えました。いつもとは違った角度から見る桜島は新鮮です。
サクラの木を見かけて枝先を見てみました。つぼみはまだまだ小さく固くむすんでいました。
住吉池をネットで空から見てみると、その隣にもう一つ、米丸マールという場所があるようです。せっかくなので立ち寄ってみることにしました。ぐるりと山に囲まれた感じが住吉池の景色に似ていますが、ここには田んぼが広がっていて、山すそには家や神社や公民館があり、ひとの暮らしがありました。
池になったマールとならなかったマール。地球の営みと不思議を身近に体感できて、はるか遠くへ旅したような心地になりました。梅からマールへのとりとめのないドライブにも、知らないことがたくさん!ほんの少し日常を離れてふらりと出かけると、それなりにわくわくして楽しいものですね。