MBC-HP
「福祉」

仕事も旅もバリアフリーに!共生協働社会をめざして活動する紙屋久美子さん


執筆者:
紙屋久美子さん紙屋久美子さん

鹿児島市の紙屋久美子さんはパソコンインストラクターで、「eワーカーズ鹿児島」と「かごしまバリアフリーセンター」2つのNPO法人の理事長です。障がいのある方々の「働きたい!」に応える「eワーカーズ鹿児島」と、「出かけたい!」に応える「かごしまバリアフリーツアーセンター」。

どちらも、目の前にある困った状況を何とかしたいという、紙屋さんの思いと行動力から生まれました。ゼロから福祉の世界にとびこんだ、紙屋さんのお話です。

石の上にも3年…いません!

紙屋さんは大阪生まれ。

父親が、定年を機に故郷の鹿児島に帰るというので、高校卒業と同時に鹿児島にやってきました。大学の獣医学部をめざして2回チャレンジするも失敗。

「もういいかな、と思って就職しようってなったときに、自分はなにがしたいのかわからなくて。とにかくいろいろな仕事をしました。」

役場で1年、司法書士事務所で3年働いた後、職業訓練を受けてワープロの資格を取得。光学機器メーカーに勤めますが、大阪でも仕事をしてみたいと鹿児島を離れることに。

大阪では派遣会社に登録して様々な仕事を経験。その後、高齢の親のそばにいるために再び鹿児島に帰り、派遣会社から勤務したのは税理士事務所でした。

「一つのことに集中するより、あれをしてみたいこれをしてみたい…、よく言えば好奇心旺盛なんですかね。仕事がころころ変わってますけど、今考えると、それが今の自分に生かされていれば、短いスパンで変わることも悪くないのかな。いろいろな経験をしたことが、今、すべて役に立ってると思います。」

実際、パソコンのスキルアップには光学機器メーカーでの仕事が、会社やNPO設立に必要な手続きには司法書士事務所での仕事、会計管理には税理士事務所での仕事が生かされました。

パソコンインストラクターとして職業訓練の講師に

2001年からは、パソコンインストラクターとして活動を始めた紙屋さん。2年後には職業訓練の講師も引き受け、2005年には夫と二人で会社を設立、本格的にパソコンの指導に携わることになりました。

夫と二人で会社を設立、本格的にパソコンの指導に携わることになりましたケイ企画パソコン教室開始時

そんなとき、障がいのある方たちのための職業訓練の講師を依頼されます。
「どんな方たちが来るのかもわからないところからのスタートでしたけど、受講生はみんな必死でほんとに一所懸命。だから、私も力を注ぎました。」

どんな方たちが来るのかもわからないところからのスタートでしたけど、受講生はみんな必死でほんとに一所懸命。だから、私も力を注ぎました。障害者職業訓練入校式

講習の内容は一般のクラスとほぼ同じ。ところが、就職が決まるのは、10人中1人ということも。紙屋さんは憤りを感じました。

「こんなに頑張ってるのになんでって、私の中で違和感がありました。とりあえずは、訓練の終わった人たちとつながりを持ち続けようと、月に1、2回集まってお茶を飲んだり、パソコンの練習をしたりすることにしました。」

働きたい!に応えたい!

紙屋さんはすぐに行動を起こします。2007年に、NPO法人「eワーカーズ鹿児島」を設立。2年後には霧島市に事務所を開き、職業訓練の講座を続けながら、障がいのある方々の就職を目指しましたが、厳しさは変わりませんでした。

「企業に就職できないのなら、家で仕事をできる仕組みを作れないかと思って、働きたい方にeワーカーズに登録してもらって、入力とかホームページ作成とかの仕事を見つけてきては、その方たちに発注するようにしたんです。」

2010年には県の委託事業を活用して障がい者在宅就労支援事業を実施。登録メンバーのスキルアップを図りながら、仕事を受注しようと奔走しました。

出かけたい!に応えたい!

そのころ紙屋さんは、職業訓練を受けにやってきた車いすの女性と出会います。明るくて、車の運転もこなすその女性に興味をひかれ、あれこれ話すうちにすっかり仲良くなった紙屋さん。一緒に食事に出かけようとしたときのことでした。

「お店の入口は車いすの入れる幅だった?とか階段あった?とか聞かれても、なにも覚えてなくて…。そもそも、バリアがどうとかいう認識、そういう目線が自分になかったんですよね。」

共に過ごしたい友人に、行きたいと思ってもいけない場所があると知ってがく然とした紙屋さん。ここでもさっそく行動を起こします。

「せっかくパソコンできるんだから、2人で出かけて、ここは車いすでも行けましたよとか、そういう情報を発信しようかっていう話になったんです。」

車いすでも楽しめるお出かけ情報を発信しながら、バリアフリーについての研修を受けるなど勉強をかさね、観光庁からの支援を受けて2014年にはeワーカーズ鹿児島のなかに、かごしまバリアフリー相談センターを開きました。

「eワーカーズさんって何がしたいのって、よく聞かれたんですけど、就労支援と余暇支援どちらも大事だと思うんです。自分で働いたお金で遊びに行きたいじゃないですか。」
2016年には、NPO法人かごしまバリアフリーツアーセンターとなって、旅の情報はもとより、いろいろな施設へのバリアフリー改修のアドバイスや接客の研修なども手がけるようになりました。

NPO法人かごしまバリアフリーツアーセンターとなって、旅の情報はもとより、いろいろな施設へのバリアフリー改修のアドバイスや接客の研修なども手がけるようになりました。バリアフリー観光講演会

もっとできることを

地道に就労支援を続けてきたeワーカーズ鹿児島も、新たな一歩を踏み出します。2017年、紙屋さんは就労継続支援A型事業所(いわゆるA型事業所)を開設して、自ら障害のある方を雇用することにしたのです。

A型事業所とは、障がいがあっても職員のサポートを受けながら働くことが出来て、最低賃金が保証されている事業所のことです。事業収益から賃金を支払うことが厳しく求められることから、雇用を維持していくのは大変ですが、就労支援がなかなか実を結ばず、既存のA型事業所に就職できても悩みを抱えて相談にやってくる元受講生に接するうちに、やるしかないと決断しました。

「仕事のある時とない時の波と、働いてる方の体調の波があって、生産性はなかなか上がらないんですけど、お給料はきちんと支払わなくちゃいけない。正直甘かったなって思います。でも、みんなの居場所を守るために私たちも頑張るから、みんなも頑張ろうっていいながら、楽しく働けるように工夫してやってます。」

今では、精神の障がいと身体の障がいのある8人が働いていて、西郷どんのグッズを作ったり、印刷物を作ったりしています。

制作を手がけたグッズ制作を手がけたグッズ

楽しんでバリアをこえていこう

様々なバリアに日々向き合っている紙屋さん。悩んで落ち込むこともしばしばですが、何事も楽しむ気持ちに切り替えて頑張ってきました。

「ありば探検」ツアーをはじめたのもそのひとつ。大切にしたのは、出かけた先のバリアを冒険気分で乗り切ってみようという遊び心。バリアを逆手にとる〝ありば〟探検というわけです。

車いすの方が「行ける」ところではなく、「行きたい」と思ったところにみんなで出かけ、たとえバリアがあっても、それをみんなで力を合わせてのりきる、それ自体を楽しもうというのです。

車いすの方が「行ける」ところではなく、「行きたい」と思ったところにみんなで出かけ、たとえバリアがあっても、それをみんなで力を合わせてのりきる、それ自体を楽しもうというのです。龍門司坂にて

2年ほど前にスタートし、これまで出かけたのは、加世田の砂の祭典や、美山の窯元祭り、大河ドラマ西郷どんのオープニング映像に出てくる奄美大島の宮古崎。加治木の龍門司坂へもチャレンジして、最後まで登りきりました。

「周りの人には、龍門司坂なんて登れるわけないって言われたんですけど、人がたくさんいれば大丈夫なんじゃないって思って。車いすの方が3人いたんですけど、ひとりを3人がかりで持ち上げて、上まで登ったんですよ。」

大変な道のりでしたが、そこには、障がいのある方とない方が協力して登り切ったからこその達成感がありました。

共に働き、共に生きていきたい

仕事をしたり出かけたり、そんなあたりまえのことを、障がいがあるからといって我慢したりあきらめたりするのはおかしい、その思いが紙屋さんの原点。

「障がいがあったり、年を取って足腰が弱ったりするのは、どうしようもないこと。共に働き、助け合って協力して生きていく、それが私の目標です。」

障がいのある方とともに過ごすようになって、たくさんのことを教えられ、自分自身が成長したと話す紙屋さん。できない理由は決して探さず、できることを日々積み重ねて、バリアをなくしていこうと奮闘中です。

特定非営利活動法人 かごしまバリアフリーツアーセンター
http://kagoshima-barrierfree.com/
電話:0995-73-3678
(平日10時~17時)

特定非営利活動法人 eワーカーズ鹿児島
https://www.eworkers-kagoshima.com/
電話&FAX:0995-73-3669

さつまの綿プロジェクト 温故知新で独自の織物を!まさき織物の挑戦大島紬を生産している鹿児島市のまさき織物。 社長の永長正樹さんは今年、吹上紬というオリジナルの織物を発表しました。 吹上町の...

この記事が気に入ったら
いいね ! してね

あわせて読みたい