さつまの綿プロジェクト 温故知新で独自の織物を!まさき織物の挑戦


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大島紬を生産している鹿児島市のまさき織物。

社長の永長正樹さんは今年、吹上紬というオリジナルの織物を発表しました。

吹上町の休耕地を借りて綿を栽培、収穫した綿から紡いだ糸をはじめ、絹や苧麻(ちょま)など自然の素材だけで織り上げました。「さつまの綿(めん)プロジェクト」と名付けて、昨年から新しい織物づくりに挑戦している永長さん。そのはじまりは、島津斉彬がつくらせたという帆布との出会いでした。

自ら育てた綿で織物をつくりたい

自ら育てた綿で織物をつくりたい

10月最後の日曜日、吹上町永吉の、いつもはひっそりとした小さな畑に、たくさんの人が集まりました。ここに植えられているのは、綿です。

綿の実
綿の実

 

綿の花
綿の花

この畑は、鹿児島市のまさき織物が、綿を育てるために、地元の川中自治会から借り受けたもの。

今日は、地元の方やお客さんが参加しての収穫体験が行われているのです。

収穫に参加する地元のみなさん
収穫に参加する地元のみなさん

収穫に参加する地元のみなさん
「過疎のところに人が集まって、にぎやかでいいねえ。」「あたしみたいにきれいよ。」と地元のみなさん楽しそう。兵庫からやってきたという女性もいました。着物店を営む岡田いち子さん。

兵庫県香美町で着物店を営む岡田いち子さん
兵庫県香美町で着物店を営む
岡田いち子さん

「6月の種まきにも参加したんですよ。近所の方も賛同してこういうことができるっていいですよね。織物づくりの過程もわかって素敵です。ふわっとした感触がかわいくて、こうして手作業で摘んでいると愛おしい気持ちになります。」

川中自治会会長の恒吉英治さんは、こう話します。

川中自治会長の恒吉英治さん
川中自治会長の恒吉英治さん

「ここは、もともとは小学校のいも畑だったところなんです。地域として協力して、この畑から綿ができて、その織物でここが盛り上がっていけば、孫たちにもいいですよね。一石二鳥ですよ。」

この日は、綿から糸を紡いだり、藍染めをしたりの体験もありました。

綿から糸を紡ぐ手つむぎの体験
綿から糸を紡ぐ手つむぎの体験

 

藍染め体験も
藍染め体験も

まさき織物の永長さんは、なぜ吹上に畑をつくろうと思ったのでしょう。

永長正樹さん
永長正樹さん

「実は、このあたりには土地勘があるんですよ。中学生の頃、毎年夏休みに、吉利(隣町の日吉町吉利)出身の友達と、当時住んでた鹿児島市の武から吹上浜まで、片道3時間かけて自転車で泳ぎに来た思い出の場所なんです。綿を育てるには少し風が強いけど、暖かくていいところです。」

鹿児島市からそう遠くない所で、綿を育てられる畑を探していたところ、川中自治会の協力で150坪の畑を借りられることになり、昨年から栽培を始めました。近くには、織り機6台が稼働する小さな工場も構えました。

「さつまの綿としてブランドにして、みんなに愛される織物をつくって、将来はここから雇用を生み出せるようになったらと思ってるんです。」

綿を育て、糸を紡ぎ、織物にする、そのすべてを自分たちの手でやってみようと考えたのは、島津斉彬の残した帆布に出会ったことがきっかけでした。

島津斉彬の帆布の再現に挑む

永長さんは京都の着物問屋に勤めていましたが、お兄さんが大島紬の手織りの職人をしていることもあり、大島紬の将来のために何かできないかと、5年前、鹿児島市にまさき織物を開業。

どんなものを作っていけば大島紬の技術を残していけるのかと、模索を続けてきました。

「絹100%の大島紬は高価で、デリケートな織物。綿糸なら強いんだけど、素材や織り方に厳しい規定がある大島紬には使えないんです。だから、大島紬の技術を生かした新しい織物を提案しようと考えました。」

注目したのは綿。

鹿児島と綿とのかかわりを調べるうちに、たどり着いたのは島津斉彬でした。

斉彬は、上方から綿栽培の指導者を招いて綿づくりを奨励。紡績所を建てたり、織糸や帆布、漁網を製造させたりと、紡績事業を重視していたというのです。

「これが、のちの日本初の洋式紡績所の設立につながるわけです。鹿児島はまさに、近代紡績発祥の地なんです。」

さらに調べていくと、斉彬がつくらせた帆布製の机布が、尚古集成館に残されていることがわかりました。

帆布
机布
島津斉彬が土佐の今井貞吉におくったもの
(尚古集成館蔵)
※転用・複製は固くお断りいたします

永長さんはこの机布を、綿を育てるところから再現してみようと思い立ちました。「さつまの綿(めん)プロジェクト」の誕生です。

さつまの綿プロジェクト始動!

プロジェクトが本格的に動き出すのに合わせて、永長さんは、県外で就職していた息子の祐樹さんに声をかけました。

息子の永長祐樹さん
息子の永長祐樹さん

「父に、一緒にやらないかといわれて、仕事を辞めて帰ってきました。斉彬の机布を再現することは、紡績発祥の地としての誇りの再現でもあると思いました。」

永長さんと息子の祐樹さんは、当時の機織り機のことや帆布の組織図が記された資料をもとに、試行錯誤を繰り返しました。

織り機には、「筬(おさ)」という部分に「羽」とよばれる糸を通すところがあるのですが、帆布に使う綿糸は太いため、細い絹糸で織る大島紬の織り機の筬の羽には通すことができません。

織り機
織り機

 

「羽」とよばれる、櫛目のような細かい隙間 ひとつひとつに、2本ずつ糸を通して織ります
「羽」とよばれる、
櫛目のような細かい隙間ひとつひとつに、
2本ずつ糸を通して織ります

そこで、羽の密度のあらい筬(おさ)にかえて織ってはみたものの、それが目指す机布に近いものなのかどうか、確かめようがありません。

祐樹さんは、大学時代の恩師に相談。するとその恩師が、尚古集成館の館長さんと友人だったことから、収蔵品の机布を特別に見せてもらえることになったのです。

「感動しました。かなり厚みのある、しっかりとした布でした。布の端の部分を見られたので、縦糸と横糸の織り方や糸の太さがわかって、再現への道が開けた気がしました。実物を目で見て肌で感じたことで、斉彬がやりたかったことまで伝わってきた感じがして、自分たちがこの机布を復活させることの意味を実感できました。」

秋には、初めての綿の収穫。地元の小学生にも、綿の収穫を体験してもらいました。

秋には、初めての綿の収穫

地元の小学生にも綿のことを知ってもらいたいと 収穫体験を実施
地元の小学生にも綿のことを知って
もらいたいと収穫体験を実施

こうして、収穫した綿から紡いだ糸と大島紬の技法で、斉彬の時代の風合いを再現した、永長さんたちの机布が織り上がりました。

名付けて「さつま机布」。斉彬の机布は白い無地でしたが、永長さんたちは琉球藍や柿渋で染めた糸を使って、今の暮らしにもマッチするデザインのマルチクロスに仕上げました。

さつま机布
さつま机布

この「さつま机布」は、2017年のかごしまの新特産品コンクールで県観光連盟会長賞を受賞、永長さんたちの自信になりました。

吹上の紬をつくりたい

さつまの綿プロジェクト2年目の今年、永長さんたちは、綿の栽培に力をかしてくれた川中自治会はじめ、地元吹上のみなさんへの感謝の気持ちを織物にしたいと考えました。

「いろいろ調べたら、明治維新のあと吹上の旧伊作村では、綿や苧麻(ちょま)、繭が生産されていて、授産施設や職業訓練学校で織物がつくられていたことがわかったんです。」

吹上の地が、織物との深いかかわりがあったと知り、その歴史を感じさせる新しい織物、吹上紬をつくることに。

使うのは、畑で収穫した綿をはじめ、絹や苧麻など、天然の繊維だけ。

イメージしたのは、吹上浜の砂浜と、打ち寄せるさざなみ。

それを、生地に生まれる「しぼ」(より方の異なる糸を使うことで出る凹凸)と、琉球藍で染めた青い色で表現しました。

実際に触れてみると、さらりとして柔らかくかろやか。ここちよい感触です。

吹上紬
吹上紬

この吹上紬は、今年のかごしまの新特産品コンクールで鹿児島市長賞を受賞、既に引き合いもきているそうです。

「ありがたいことです。みなさんに愛されるような、更にいいものをつくって、たくさんの方に届けたいです。それで、吹上に綿の畑が増えたり、働く場が出来たりしたらいいなと思います。」

そう話す息子の祐樹さんには、鹿児島生まれのジーンズをつくりたいという夢も。

島津斉彬の帆布の再現から始まった「さつまの綿プロジェクト」。そこには、近代紡績発祥の地である鹿児島を、ふたたび織物で盛り上げたいという、永長さんたちの思いがあります。

今はまだ小さな吹上の綿畑から、次はどんな織物が生まれるのか、夢のゆくえが楽しみです。

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投稿者: てのん記者