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「生き方」

脳卒中の楽しみ方!リズムコミュニケーター・森田孝一郎さん闘病のお話


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仕事盛り、突然の病に襲われ、不自由な体となったら、どうしますか?
きょうは、50歳を目前に脳卒中に見舞われ、医者から再起不能を宣告されながらも、持ち前のポジティブ精神で新たな自分と向き合う“もりぶー”こと森田孝一郎さん(51)のおはなしです。

ドラマー復活を目指してリハビリ中の“もりぶー”こと森田孝一郎さん(一昨年)ドラマー復活を目指してリハビリ中の“もりぶー”こと
森田孝一郎さん(一昨年)

先日、てのんでご紹介した“もりぶー”こと森田孝一郎さん(51)ドラムサークルなど、タイコを叩いてリズムで繋がり合うリズムコミュニケーターとして県内外で多忙な日々を送っていました。その“もりぶー”を突然の病が襲ったのは、一昨年の7月24日の朝でした。

その日は突然やって来た!

それは、日曜日の朝。仕事に出かけようとしていた矢先のこと。「何だか右腕の様子がおかしい。もしかして…」考えている暇もなく、右半身、右足全体が痺れだし、立ち上がれなくなりました。その時、家には一人。

「これは過去最高にやばい。きた~って思いました。血圧がちょっと高くて、薬をもらっていたんですが、忙しいと飲んだり、飲まなかったり。その時は、アレもしなきゃ、コレもしなきゃ、と頭の中を駆け巡るんだけど、右手が効かない。とにかく何とか119番通報しました。」

救急病院に運ばれ、空腹で目が覚めたのは翌日の夕方でした。目の前にいる、奥様の理恵子さんと母のナツ子さんの顔を見て「どうやら自分は助かったらしい。」と思ったそうです。

からだの右半分が、まったく動かない

「じつは、うちの奥さんは、医師から早い段階でドラマーとしての復帰は難しいと言われていたらしいです。でも僕は当初、病気のせいもあって自分の置かれた状況をよく呑み込めていなかった。救急病院からリハビリ病院に移って2~3ヶ月もしたら仕事に戻れるだろうと思っていました。でも、そう甘くなかった!」

脳出血。脳の左側の視床という感覚や言語をつかさどる部分が損傷していました。タイコを叩く仕事をしている森田さんにとって、致命的ともいえるピンチでした。

「からだの右半分がまったく動かない。というか、全然感覚が無い。だんだん状況が分かってくると、病気のこと、自分の体のこと、仕事のことが気になり落ち着かない。へたすると元の通りの仕事をするのは不可能で、森田家の経済基盤が根底から崩れることになる。気持ちはあせるばかり。」

そんな気持ちを落ち着かせるために、“もりぶー”は左手だけで書きはじめました。そして5ヶ月に及ぶ入院生活、さらに4ヶ月をかけた社会復帰までの道のりが一冊の本になりました。

“もりぶー”の著書「脳卒中の楽しみ方」“もりぶー”の著書「脳卒中の楽しみ方」

といっても、この本いわゆる闘病記とはちょっと趣が違います。「病気」を「ビョーキ」と笑い飛ばし、人生最大の試練までも、未知の体験として、楽しもうという気概に溢れています。病は「気」から、スーパーポジティブ魂胆(スポ魂胆)で、昨日より今日、今日より明日と、前に向かっていく“もりぶー”の奮闘する姿が軽快なタッチで描かれています。森田さん曰く「この本は、究極のビョーキエンターティメントノンフィクション!」

50歳目前で脳卒中に見舞われた森田孝一郎さん50歳目前で脳卒中に見舞われた森田孝一郎さん

「そりゃ、絶望、不安、へこむこともいっぱいありましたよ。必死にリハビリして杖をついての歩けるようになったのに、また車椅子に逆戻り。そんなことが何度も、ありました。体のあちこちが悲鳴をあげて、痛くて眠れない。そんな時、この体験はいったいボクに何を学ばせてくれているの?と何度も問いかけました。自問自答していくと、じたばたせず「今、ここ」に身を任せよう。やるべきことをやり、なるようになった結果を受け入れよう。そんな心境になりました。」

シビレていない!自分に言い聞かせている“もりぶー”(病院にて)シビレていない!自分に言い聞かせている“もりぶー”
(病院にて)

思い返せば、これまで全力疾走で歩んでいました。大学では建築工学を学び、7年間、建設現場の監督として汗を流し、その後、インターネット関連のベンチャー企業に転職。役員にまでなりました。ちょうど40歳になった時、このまま行くか…それとも、ずっと続けてきた音楽活動で食べていくか…自ら下した結論は音楽自営業者としてフリーランスで生きていく道。これからは好きな道で、社会のお役に立とう!と決意。仕事も増え、ドンドン突っ走って、もうすぐ10年になろうかという時でした。

脳卒中よ!ありがとう!

『病気になんかなりたくない。ならない方が良いに決まってる』でも、病気になったことで、あたりまえと思っていた一つひとつがなんて幸せなんだろう…感じられてきました。

右手でタオルが持てたぞ~!(急性期リハビリで)右手でタオルが持てたぞ~!
(急性期リハビリで)

“もりぶー”はその度に、脳卒中よ!有難う!と記しています。

~退院前の一節より~

退院したらしたいこと♪
1 家族でばんめし
2 詩音ちゃん(愛犬)とお散歩
3 大音響で生ドラムセット練習
4 理恵子様(奥さん)と飲んだくれ笑い倒し旅
他にもたくさんあるけど、とりあえずこれくらいにしとこう。どうでもいいはずのことがとてもありがたい。ずっと許せなかった人を許すことができそうだ。
あるがままを受け入れよう。全ては、今、ここ。この病気に感謝。ありがとう。
「脳卒中の楽しみ方」より

天からのギフト

5ヶ月の入院生活を経て、いよいよ次は社会復帰です。

退院後の右手での字の練習帳退院後の右手での字の練習帳

「ひと通り、自分で自分のことが出来るようになったけど、僕の右手や右足は以前のようには動かない。今も痺れていて重い。ドラム教室のレッスンも以前は『こうやるんだよ。』とやって見せてあげられたけど、今は生徒さん自身に、自分で見つけてもらうしかない。でも、このやり方こそ、ほんとのコーチングかな~って思ったんです。

それから僕の音楽活動の中心となっていたドラムサークル。大きな太鼓を一人で運ぶことは出来ません。以前から後継者の育成が課題だったんですけど、ずっと後回しになってた。すると良くしたもんで、一緒にこの活動を引き継いでやってくれる若い人が出てきてくれた。これも有難い。病気にならなければ、無かったこと。僕のまわりに芽生えた新しい世界に、高い満足感があります。」

発病から9ヶ月、タイコを叩く世界に戻ってきた…発病から9ヶ月、
タイコを叩く世界に戻ってきた…
一緒にドラムサークルを引っ張る仲間が増えて、嬉しいぞ!一緒にドラムサークルを引っ張る仲間が増えて、嬉しいぞ!

「絶対」「必ず」が消えた!

入院中、森田さんの言葉には「絶対なおす」「必ずなおす」という威勢の良い言葉が躍っていました。でも、退院後、入院中よりずっと厳しい現実に立っているにも関わらず、その言葉は姿を消し、「フツーに」「自然に」という言葉に変わっていきました。

「ほんとは、僕ってとてもせっかちな性分。あの頃は、絶対、克服してやる!って肩に力が入ってたんでしょうね。でもこれって正直つかれますよね。『ねばならない』をやめてみたらラクになった。

その方が、体の調子も快調に。スケジュール帳の厚さも、病気になる前の三分の一になりました!

その分、軽く、自由になった。収入も三分の一にね!(笑)でも、残りの三分の二で、ゆっくり進める。『心の余裕』をもらった。だから、今の方が豊かです。」

この現場に戻れたしあわせ!この現場に戻れたしあわせ!
僕は根っからのドラマーを実感!僕は根っからのドラマーを実感!

スポ魂の灯をともし続けて…

「今までリズムの楽しさを、がむしゃらに広めてきた。でもこれからは、根っこをしっかり張って、深く深く掘り下げて伝えていきたい。焦らず一歩一歩。じっくり、じっくり。ゆっくり、ゆっくりね。そして、ひとりではとても乗り越えられなかったこの『試練』助けてくれた人、支えてくれた人、みんな、みんなに有難う!と言いたい。中でも、この人の存在は特別でした。」

妻の理恵子さんと…妻の理恵子さんと…

「どげんなったろかい。」「なーんとかなるのよ。んははは―」
奥さんの理恵子さんは…

「あの時は、真っ暗闇に突き落とされた気がしましたが、何とかなるもんです。“もりぶー”が一人で抱え込むことなく、一緒に歩いていこうと思いました!置かれた状況は変わらなくても、人は心の置き方で大きく変わります。考え方を変えると新しい方向が見えてくるものです。これからも小さな変化をし続ける“もりぶー”を、楽しみに見守って下さいね。」

森田さんの著書「脳卒中の楽しみ方」森田さんの著書
「脳卒中の楽しみ方」

人生には思いがけない『試練』がやってくるもの。
それは、病気であったり、仕事や家庭のことであったり…

そんな人たちへの元気づけ、励ましになればと、綴られた“もりぶー”からの贈り物
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>>タイコを叩けばみんな繋がる! コミュニティドラムサークルという世界

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