毎年8月は、広島・長崎に原爆が投下された日、そして終戦の日がめぐってきて、戦争や平和について思うことの多い月です。
戦後74年が経とうとする今、当時の体験をお持ちの方々は高齢となり、県内各地に残る戦争の足跡も、それを語り伝える人、そして訪れる人がいなくなれば、いずれ忘れ去られてしまうのではと気にかかります。
てのんでは折にふれ、戦時中の体験談をうかがい記事にしてきましたが、戦争にまつわる、いわば「土地の記憶」には、あまり目を向けてきませんでした。
そこでこの夏、鹿児島にのこる戦跡をたずねる旅を企画してみてはどうかという話が持ちあがりました。
鹿屋市の高須集落へ
旅のプランを作ったのは、てのんの記事に何度かご登場いただいている鹿児島市の山口陵子さん。
ひとりで旅行会社を営んでいる山口さんは、以前から、大隅半島に点在する戦跡をめぐるツアーを企画したいと考えていました。
そこで、戦争の記憶を記録していきたいと考えているてのんの思いに共感して、『鹿屋の戦争遺跡と高須集落まち歩き』というツアーを企画して下さったのです。
「あまり知られていないかもしれませんが、鹿屋市の高須集落にある金浜海岸には、終戦直後の9月4日にアメリカの進駐軍がおよそ2500人も上陸してるんです。当時の住民のみなさん、どんなに怖かったことでしょうね。」
隣の高須海岸には、アメリカ軍の上陸に備えて作られたトーチカ(狙撃するための陣地)も残っているとか。
「高須地区では、住民の方がガイドとしてまち歩きをしながら当時のお話を聞かせて下さいます。実はここ、西郷どんゆかりの地でもあって、西郷どんが狩りなどのため宿泊していたお宅があったんですよ。西南戦争のときには官軍が上陸した地でもあるんです。」
高須地区は、西南戦争と太平洋戦争、2つの戦争に直面した地なのです。
多くの特攻基地があった鹿屋
鹿屋市内には、太平洋戦争中3か所の飛行場があり、そのうち鹿屋海軍航空基地から908人、串良海軍航空基地から363人もの人々が特攻隊として出撃し、命を失いました。
今回の旅では、その歴史を伝える鹿屋航空基地資料館を見学するほか、人間爆弾として知られる「桜花」の乗組員が最期のときを過ごした野里国民学校跡を訪ねます。
山口さんはこう話します。
「近くにあっても知らないことがいっぱいあるなあって、そこが今回の旅の出発点なんです。戦争の足跡をたどるっていうと、どうしても難しく考えてしまいがちですけど、まずは知ってほしいなあって思うんです。実際に現地を訪ねて、それぞれの感性で感じたことを大切にしていただけたらいいなと思ってます。」
大隅半島の戦跡は、とても1日で巡ることはできません。山口さんは、今回の『鹿屋の戦争遺跡と高須集落まち歩き』ツアーを皮きりに、来年以降も場所を変えて続けていき、いつかすべての戦争遺跡を訪ねる旅にしていきたいと考えています。
ツアー出発日
ツアーの出発日は、8月18日(日)と8月25日(日)で、参加費は5,500円。それぞれ、参加希望の方が15人に満たなければ、残念ながらツアーは催行されませんが、ご興味のある方は、この機会にぜひ参加なさってみませんか。