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「生き方」

還暦目前で旅行会社を起業 人生山あり谷あり!思いきって新しい旅路をゆく


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「私、ひとりで旅行会社をしてるんです。」
鹿児島市の山口陵子さんに初めてお会いしたのは、てのん学校の日でした。

ボランティアで運営を手伝って下さった山口さん、そのあふれんばかりのパワーと明るさ、そして何よりひとりで旅行会社を始めたという肝っ玉に驚かされました。

永年、金融機関で働き、定年まで勤め上げるつもりだったという山口さんが、還暦を目前になぜ旅行会社を始めたのでしょう?そこには山あり谷ありの人生の物語がありました。

「てのん学校」歴史トークショー、満員御礼!感謝の思いを込めて…12月8日、第一回「てのん学校」が開催されました。サイト中心に活動してきた「てのん」が、一般のみなさんと繋がる初めての場となりました。 ...
山口陵子さん山口陵子さん

モーレツ仕事人だった

「はっきり言います!不正してません(笑)!むしろ、人から羨まれるくらい順風満帆でした!」

冗談交じりにこう切り出した山口さん。高校卒業後すぐに鹿児島市の金融機関に入り、仕事が大好きだったといいます。

「お客さんと窓口で対応するのが好きだったし、営業が好きでした。こんな楽しい仕事はないって思ってましたよ。」

入社してすぐに、窓口応対コンテストで3位に選ばれ、その後は、ボーナス時期の営業成績は常にトップクラス。朝早くから夜遅くまで働き、顧客の都合に合わせて働く日々。

一方で、スキルアップのための勉強も欠かさず、上を目指してまっしぐらに突き進んだといいます。

「強くないといけない。泣いても、弱音を吐いてもいけない。頑張って当たり前と思ってました。どんなときも仕事をとる。個人的な事情をいうのは甘ちゃんだって思ってました。」

40代半ばには、支店の係長として若手を指導する立場になりました。

「自分が、若い人たちより成績が悪いなんてわけにはいかない。私が負けたら、やっぱり女の人は…って言われるよなって思った。飲み会でも、どんだけでも飲んで食べて、うちのボスはすごいって言わせるぞって。圧倒的にすごいって言わせなきゃと思ってたんです。すごく、力が入りすぎてた、ぜんぜんしなやかじゃなかったんですよね。」

山口さんの身に異変が起きたのは、この頃のことでした。

初めての挫折

仕事のトラブルがきっかけで、体調を崩してしまった山口さん。
「危険な状態でした。うつ状態になってしまって入院したんです。1年近く休職しました。初めての挫折です。」

入院は半年近くに及び、退院しても、心は元気をなくしたまま。

「外で働いてる人たちがまぶしかった。たまに外出しても、あっ、あのバイクは金融機関の人だ!と思いながら、電柱の陰から働く人を見てました。自分はダメな人間だ、恥ずかしいって思ってました。」

お見舞いに来てくれる会社の人たちに会うのも気がひけましたが、それでもうれしかったという山口さん。次第に、これからのことを考えるようになりました。

「このままこうしていてもなぁって思って。どういう形で復帰するかという話になって、今までみたいに営業で外に出るところじゃなくて、事務作業をするところで働くことになりました。」

山口さんが復帰したのは、ローンや信託の相談を受けたり書類をチエックしたりするローンセンター。

そこには、お稽古事や展示会に貸し出しているスペースがあって、その利用者に応対するのも仕事の一つ。今までとはまったく違った時間が流れていきました。

「前みたいに数字を生きがいにしたり、数字に追われたりすることがなくなって、だれかと競うこともない。気持ちが楽になりました。」

出会いに癒されて

薩摩川内市に新たなローンセンターができるのを機に、異動となった山口さん。平日は薩摩川内市でひとり暮らし、週末は鹿児島市の自宅で夫と過ごす、という生活を始めました。

「会社としては、鹿児島市から通勤するようにということだったんですけど、その頃私、椎間板ヘルニアで腰痛がありまして、1時間近く車を運転して通勤するのは、ちょっときつかったんです。それに、ひとり暮らしを一度やってみたかったんです。」

新天地での山口さんが業務の傍ら取り組んだのは、ローンセンター2階の空きスペースの活用でした。当時無料で貸し出されていたこのスペースで様々なジャンルの展示会を開いてもらって、たくさんの人に足を運んでもらおうと考えたのです。

「新聞でいい写真を見たら、うちで写真展しませんかって声掛けに行ったり、ちぎり絵を見たら、その方のところにいきなり電話して展示会してもらったり。作品展がご縁で短歌の会に誘われて、へたくそなんですけど毎月10句、短歌を作ったりしてました。このころ出会った方は、皆さん元気で明るくて、ほんとにすばらしい方ばかり。いい思い出です。」

知り合った人の中には、今でもお付き合いが続いている人も。ここでの時間は、山口さんにとって、自分をとりもどすかけがえのない時間となりました。

そうだ資格取ろう!

ひとり暮らしのあいだ、山口さんはもうひとつ、新しいことにチャレンジしました。

「自分の時間がいっぱいある。この時間に何か資格を取ろうって思ったんです。地理が好きだったので、地理的なことを問う問題がある資格はないかなぁ、地理といえば旅行かなぁってことで、国内旅行業務取扱管理者の資格をめざすことにしました。国家資格だから、とれたらかっこいいし、仕事に関わる資格じゃないから落ちても落ち込まなくていいですからね。」

勉強を始めて半年もしないうちに合格。その後、国内旅程管理者という、いわゆる添乗員の資格も取得。さらに通信教育と講習を受けて、サービス介助士という資格もとり、高齢の方や障がいのある方の介助の仕方を学びました。

仕事優先で、プライベートでは旅行に行くことはほとんどなかったという山口さんが、ここまで頑張ったのにはわけがありました。

「勤続30年で旅行券をいただいたとき、私、腰が痛くて行けなかったんです。世の中には私みたいにあきらめてる人が、きっとたくさんいるよな、いつかそういう人たちのお手伝いができたらなと思って、この資格も取ったんです。」

今までとは違う世界に興味を広げ、山口さんは再び鹿児島市での勤務に戻りました。

まさかのアクシデント

ある朝、車を車庫から出そうとした山口さん、とんでもない事態を引き起こしてしまいました。

「アクセルとブレーキを踏み間違えて、向かいの家に突っ込んじゃったんです。車は大破、向かいの家の入口階段はめちゃめちゃ、私は救急車で病院に運ばれました。」

物損事故ですんだのは不幸中の幸い、自らもけがはなく、その日のうちに病院から帰宅しましたが、もともと治療中だった腰は最悪の状態になってしまいました。

元気そうに振舞っても、まわりに気遣われてしまうことにいたたまれなくなり、2011年3月、山口さんは33年勤めた会社を退職しました。

新しい世界へ

仕事一筋だった山口さんにとって、退職してからの暮らしは、すべてが新鮮。今まで経験できなかったことに、どんどんチャレンジしていこうと前向きな気持ちでした。

そんなとき、夫と二人で福岡日帰りバスツアーに参加。自身が資格を持っていたこともあり、添乗員さんの仕事ぶりに興味津々で、乗客がみんな帰ってしまってからも、添乗員さんの様子を見ていました。

「添乗員さんに、興味があるんじゃないですかって声かけられて、資格を持ってるのなら、その気になったらここに連絡してと、メモを渡されたんです。」

半年後、山口さんは思い切って電話をし、契約の添乗員として新しいスタートを切りました。

山口さんが主に担当したのは、買い物ツアーでした。九州各地が出発地で、添乗員は現地まで自分で出かけてお客さんを迎えなくてはならないハードな仕事。朝4時に出て夜11時に帰宅することもありました。

ガイドさんはいないので、自らのおしゃべりで盛り上げようと、あれこれ勉強して話題を用意し、お客さんを退屈させない工夫もしました。

「楽しかった!すべてが未知の世界だったし、自分が頼りにされてるのがうれしくて、やりがいがありました。鍛えられたけど、この時の経験が、今の私につながってると思います。」

添乗員として働き始めて1年ほど経ってからは、海外での添乗ができる総合旅程管理者の資格も取得しました。

誘われて旅行会社へ

2013年、金融機関にいた頃親交のあった会社の社長さんから、旅行会社を始めたいので来ませんか、と声がかかりました。

ひとりで旅を企画して催行できる願ってもない環境。山口さんはその会社に入り、自分が行ってみたい、面白そうと思った場所へ下見に出かけては、ユニークな旅をどんどん売り出しました。

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「メジャーな場所へのツアーは、大手がやってるし、値段もかなわない。うちは、よそでやってない、旅慣れた人も行きたくなるようなニッチな場所でツアーをやろうと思ってました。」

なかには申込みがゼロというツアーもあって、なかなか思うようにはいきませんでしたが、発着地を、中心部の鹿児島中央駅以外に、参加するお客さんの住む地域に合わせて複数設けるなど、お客さん目線の工夫を重ねて、ご常連もできました。

一方で、会社の方針と山口さんのやりたいこととの間に、次第にずれが出てきてしまい、悩んだ末に、4年勤めた会社を辞めることにしました。

ひとり、旅行会社を興す

まだやり足りない、もっとやれることがあったのではと、心残りを抱える日々。

「私が大切にしていたお客さんたちから、どうしたのね、私たちを見捨てるのね、どっか連れて行ってよって言われましてね。」

人生は1回きり、自分を必要としてくれる人がいるなら、思い切って旅行会社を作ってしまおう!そう決意した山口さんは、夫に相談。

「主人は大反対!難儀してもらった退職金がゼロになるんだよ、それでもいいのって。だから私は、最初からつぶそうと思って会社を興す人はいないよ、大儲けできなくてもいいからやるって言ったんです。」

こうして2018年1月、山口さんは旅行会社「(株)Fun Fan企画 旅ぱんだ」をオープンさせました。会社の名前は、誰からも愛されるパンダにあやかりました。

柳川でお客さんと柳川でお客さんと
人気のあるツアーのチラシ 山口さんの川柳が添えられています人気のあるツアーのチラシ
山口さんの川柳が添えられています

旅を企画し、営業にまわり、添乗に出る。覚悟していたとはいえ、ひとりで切り盛りするのは苦労も多いという山口さんですが、今後はツアーだけでなく、個人の旅をサポートすることにも力を入れたいと考えています。

かつて、腰痛で旅に出られなかった経験とサービス介助士の資格を生かして、体に不安があって旅をためらっている方の後押しができたらと張り切っています。

今年は年女の山口さん。還暦目前で見つけた新しい道を、ただいま猛進中です。

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