毎年、お盆に鹿児島に帰省すると、母が作ってくれたお盆料理。今年は帰省できなかったので、福岡の自宅で作ってみました。食卓に並んだ料理を見て娘が「鹿児島のおばあちゃんの家に帰ったみたい。」と言ってくれました。
お盆を故郷で過ごした方も多かったのではないでしょうか?
お盆は、亡くなった方やご先祖様の霊魂を供養する期間。一年に一度、浄土にいるご先祖様の霊魂が家に帰ってくるといわれています。
小さい頃のお盆の思い出
祖母の家に帰った時、枯れ枝を集める手伝いをした事があります。
13日の迎え火に使うのです。家の門の前に枯れ枝を積み上げで、辺りが薄暗くなった13日の夕方、火を焚きます。
祖母が「ご先祖様がちゃんと迷わずに家に帰って来られるように、ここが家ですよって目印のために焚くんだよ。」と教えてくれました。
そして燃える炎を見つめていると、祖母が「ご先祖様が帰って来やった。帰って来やった。」と話し、暗くなった辺りにご先祖様の姿が見えそうで、少し怖かったのを覚えています。
そして、家の仏壇にご先祖様が戻ってきたので、迎え火の後は、みんなで仏壇の前に座り、手を合わせてご先祖様の供養をしました。
お盆の間、仏壇をちらちら見ながら「今、あそこにご先祖様がいらっしゃるんだ。いつの時代からのご先祖様が帰って来られているんだろう。」と漠然と思ったりしました。
祖母や母やおばさんたちは、朝からお盆料理を作るのにおおわらわでした。
その様子は去年のお盆にお伝えしましたが(鹿児島のお盆料理「鼻つまん団子」をご覧ください)、お盆料理には、家に戻ってきたご先祖様のために、心を込めて精進料理でもてなす意味があるんですね。
そして15日の夕方、今度は送り火をして、お盆を一緒に過ごしたご先祖様たちの霊魂を浄土へお送りしました。
85歳の母から受け継ぐお盆料理
85歳の母は、毎年お盆に私たちが帰省すると、祖母から受け継いできたお盆料理を作って私たちをもてなしてくれます。
去年の帰省は、お盆を過ぎたころだったので、手作りのさつま揚げやタコときゅうりの酢の物といった精進料理ではない料理もありましたが、いつもは、煮しめ、ソーメンのお汁、鼻つまん団子、がね(さつまいもが入ったかき揚げ)やきゅうりと春雨の酢の物が定番です。
今年は、鹿児島に帰省できませんでした。
福岡の家には仏壇もありませんし、お墓参りもできませんので、こちらで過ごしているとお盆の時期という実感がありません。
そこで今年は「受け継ぐ」という気持ちで、母が作るお盆料理を作ってみました。
祖母も母も13日にぼたもち、14日に鼻つまん団子を作ってお供えをしていました。
そこで私も、まず13日にぼたもちを作りました。
祖母たちは朝から小豆をコトコト煮て、ゆっくり時間をかけてあんこを作っていましたが、私は圧力釜で小豆を煮て、時間短縮であんこを作りました。
そして14日に、お盆料理を作りました。
献立は、母が作るものと同じ、煮しめ、ソーメンのお汁、がね、キュウリの酢の物、そして鼻つまん団子です。
煮しめには、この春、母が作って送ってくれた干しタケノコ(春の味覚!竹の子のレシピ「竹の子のフライ」&「干し竹の子」をご覧ください)を前の日から水でもどして使いました。
鼻つまん団子は、去年、娘と一緒に作ったので、今年は娘が一人で団子を丸めました。
団子を作りながら娘がいい事を言ってくれました。「こうして一緒に作るうちに、自然と覚えて受け継がれていくんだね。」
朝から準備をして、少しバタバタしましたが、なんとか夕食にはお盆の料理が出来上がりました。
鹿児島の実家に帰省した時と同じようなお盆の食卓の風景になりました。
「鹿児島のおばあちゃんの家にかえったみたい」と娘が喜んで話してくれました。
母の味には及びませんが、鹿児島のお盆の伝統料理を作ることが出来ました。
去年も記事に書きましたが、やはり途絶えていくということは寂しいことだと思います。
お盆料理に込められた、ご先祖様を大事にする気持ちや、久しぶりに帰ってきた人たちをもてなすという気持ちを忘れずに、私も、将来、子供たちがそれぞれ独立し、お盆に帰省するようになったら、このお盆料理でもてなしたいと思います。