今年は戦後80年です。残念なことに、当時の経験を語ったり、記録に残したりして後世に伝えようと努めてこられた方々がひとり、またひとりと亡くなられています。
この6月には、てのんでもその体験を幾度となくご紹介してきた岩元チエさんが、92歳で旅立たれました。チエさんは、戦時中の暮らしを「私が子供だった頃」と題した1冊の本にまとめ、戦争によって少しずつ奪われていく日常をやさしい言葉で、それでいてしっかりとした観察眼で詳細に書き残していて、そこには平和への願いが込められています。この本は2023年に、戦中戦後の国民生活の労苦を次世代に伝える国の施設「昭和館」にも収蔵されました。チエさんが伝えたかったことを、あらためてこれまでの記事でご紹介します。
「私が子供だった頃」はどんな本?
岩元チエさんは、昭和8年に鹿児島県の薩摩川内市に生まれました。戦中戦後を、国民学校の初等科から高等女学校の生徒として過ごしたチエさんの体験を、娘の英代さん(てのんメンバー)が聞き取り、母子二人三脚でまとめたのが「私が子供だった頃」です。戦時中の暮らしや教育、終戦後の苦労などが、チエさんが語りかけるような文章でまとめられています。
戦時下の食糧難
戦時中は食べ物がなくて、みんなひもじい思いをしたという話はよく耳にしますが、チエさんの本からは食糧難がどのようなものだったのかがよくわかります。
市井の人々が兵士として駆り出されていく「出征」にも、食糧難が影を落としています。
チエさん機銃掃射を受ける
昭和20年3月、チエさんの暮らした薩摩川内市が初めて空襲を受けました。その後もチエさんのまわりでは何度も空襲や機銃掃射(低空飛行の米軍機が人や列車、軍事施設をめがけて機関銃を撃つこと)の被害があり、チエさん自身も危うく撃たれるところでした。
戦時下の教育
素直で利発な子どもだったチエさん。戦時の教育によって次第に軍国少女になっていった自らの体験を通して、戦争の理不尽を教えてくれています。
やがて、勤労奉仕の名のもとに、子どもも畑仕事をしたり縄をなったりする仕事を課される
ようになり、勉強どころではなくなっていきます。
チエさんが伝えたかったこと
学校で勉強したり友達と遊んだり家族とおいしいご飯を食べたり…、そんな当たり前の暮らしが出来なくなって子どもが子どものままでいられなくなる、それが戦争なのだとチエさんの本に教わりました。世界では今も戦争が続いていて、たくさんの子どもたちが、80年前のチエさんのような暮らしを強いられているかと思うとやるせない気持ちになります。最後に、「私が子供だった頃」より、少し長くなりますがチエさんの願いをそのまま記します。
『月並みな言葉かもしれませんが、心の底から強く願うことは「平和の大切さ」です。戦争のない社会です。戦争は、戦地に行った兵隊だけではなく、その家族・残されたすべての人々が巻き込まれ、全ての人の穏やかな日常を奪います。そして戦争では、人が人の命をためらうことなく奪う恐ろしい状況が生まれるのです。平和な日々は、人々の心を豊かに育みますが、戦争は人の心を悪く変えていきます。
広島・長崎への原爆、沖縄の地上戦、東京大空襲…日本各地で、さまざまな悲劇が起きました。そして、この私たちの住んでいた川内でも、戦争の現実があったことを忘れないでほしいと思います。
そして、今なお世界の各地でおこっているさまざまな争いに心を痛めています。私たちの子どもや孫の時代、そして将来に渡って、ずっと戦争に巻き込まれるような時代にならないことを強く願っています。
戦争は二度と繰り返してはいけません。』
岩元チエさんの穏やかで優しい笑顔が目に浮かびます。ご冥福をお祈り申し上げます。
「私が子供だった頃」は鹿児島県内の3つの図書館に
岩元チエさんが書かれた「私が子供だった頃」は、鹿児島県内の3つの図書館に寄贈されています。
鹿児島市立図書館 https://lib.kagoshima-city.jp
鹿児島市立天文館図書館 https://lib.kagoshima-city.jp/tenmonkan
薩摩川内市立中央図書館 https://library-satsumasendai.com
読んでみたいと思われた方は、ぜひお近くの図書館でチエさんの思いにふれてください。
また、戦中戦後の国民生活の労苦を次世代に伝える国の施設「昭和館」(東京都千代田区)にも収蔵されています。














