知覧の武家屋敷といえば、鹿児島を代表する観光地の一つですが、その一角に、小さな綿畑があります。育てているのは南九州市の地域おこし協力隊員の岩崎泰依さん。3年前に着任し、古くから日本で栽培されてきた和綿の魅力を伝えたいと活動しています。
岩崎さんは、種まきから収穫、糸を紡いで布を織るところまですべて手作業で行っていて、観光客や地元の方々向けの体験プランも実施しています。種子島で生まれて東京で育ち、インドでの手織りの布との出会いを経て知覧へ。
協力隊の任期は間もなく終わりますが、岩崎さんはこれからも、和綿と手仕事の豊かな時間を、武家屋敷から発信していこうと思っています。岩崎さんに、これまでのこと、これからのこと、うかがいました。
和綿を育てに鹿児島へ
知覧を訪ねた日は雨。しっとり森閑とした武家屋敷の道を歩き、まず岩崎さんが案内してくれたのは和綿の畑でした。お屋敷の生垣を入ったところに「知覧武家屋敷コットンファーム」と名付けられた小さな畑があり、たくさんの和綿が芽を出していました。その数は200株から250株だそうです。
「去年の秋に収穫した和綿から取った種を、4月に蒔きました。和綿ではありませんが、茶色い綿が取れる茶綿や緑の綿も育てています。」
ワタは、アオイ科ワタ属の植物で、主な栽培種としては4種が知られています。日本に伝わり栽培されてきたのは、そのうちの1種の系統で、これが「和綿」と呼ばれています。岩崎さんによると、和綿は毛足は短いのですが、通気性や保温性に優れているのが特長だそうです。
岩崎さんは、南九州市が地域おこし協力隊を募集していることを知り、母親が種子島出身で鹿児島に縁を感じていたこともあって、応募を決めました。面接では、自分で綿を育てて布を織り、体験型の観光を提案したいとの思いを伝えました。
「インドの布が大好きなんです。インドには各地に様々な手で作られた布があって、それが価値あるものとして、とても大切にされているんです。なかでもカディと呼ばれる布は、綿を育てるところから糸を紡ぎ布を織るところまで手作業で行われていて、私も日本の綿で、カディのような手織りの布を、原材料からすべて自分で作ってみたいと思ったんです。」
インドの布?どうやら岩崎さんが知覧へやってきたきっかけは、インドでの手織りの布との出会いにあるようです。
デザイナーになりたかった!
岩崎さんは子どもの頃から洋服や布に興味があって、将来はデザイナーになりたいと思っていました。
「当時はブランドもののファッションがブームで、かっこいい洋服にあこがれていました。でも高価でとても手が届きませんでしたから、自分なりに工夫して作ったこともありました。服を作ることを楽しんでいました。」
服飾系の短大に進学した岩崎さん。卒業制作に取り組むにあたり、イメージに合う布をさがしに、初めてインドを訪れました。
「もともとインドの布は好きだったのですが、卒業制作のテーマがウエディングドレスだったので、ほかの人が選ばない布を使いたいと思ってインドに出かけたんです。当時のインドの人たちは、着るものを仕立て屋さんであつらえるのが主流でしたから、市場にはたくさんの布屋さんがあって、いろいろな織物がありました。」
インドの多様な布を目の当たりにした岩崎さんは、ますますそのとりこになりました。卒業後は着物の会社に就職しましたが、インドの布への興味は尽きることはなく、時間を見つけてはたびたびインドを訪問。その数は20回以上にのぼります。
「いろいろな街に行っては、その土地の布をさがしました。インドでは各地でいろいろな布が作られています。絣もありますし、草木染や木版で模様を施した布もあります。インドは、手仕事の素晴らしさと装う楽しさを思い出させてくれる場所なんです。」
岩崎さんは10年ほど勤めた着物の会社を辞めて、インドに工場を持つアパレル関係の会社に転職。1年間のインド駐在中、仕事としても布が生み出される現場に立ち会う機会を得て、その魅力を実感しました。
やがて岩崎さんは、大好きなインドの手織りの布を、日本の綿で作ってみたいと思うようになりました。東京で和綿の糸紡ぎや機織りをしているサークルに通って手法を学び、せっかくなら和綿を育てるところからチャレンジしたいと、南九州市の地域おこし協力隊に応募することにしたのです。
いよいよ和綿を育てる
こうして、2018年の10月に知覧にやってきた岩崎さんは、さっそく全国各地で和綿を育てている人たちをさがして連絡をとり、種を分けてもらって、翌年の春から栽培を始めました。
「畑仕事は全くしたことなかったので、こんなに大変なんだと思いました。芽を出したばかりのころは、ナメクジやネキリムシの被害にあって、ダメになってしまったものもありました。ただ、綿はもともと丈夫なので、成長してからはあまり心配なかったのですが、草取りは欠かせませんでした。とにかく枯らしてはいけないという緊張感がありました。」
武家屋敷での観光案内などの業務をこなしながら畑の手入れをし、2019年の9月に初めての収穫を迎えました。収量はおよそ7kg。綿から種を取り出す「綿くり」という作業をしたら、7kgのうちの4分の1が綿で、あとは種でした。
「収穫はとにかく必死でした。綿って一気に収穫できないんです。綿(綿花)が開いたものを見つけては採るという感じで、毎日畑の綿の様子を見ていなくてはいけません。雨にあてたり泥がついたりしてはいけないので、9月の下旬ごろから3か月くらいは、とにかく収穫に追われていました。収穫が終わってようやく、こんなに採れたんだって、ほっとしましたね。」
収穫後は、次の作付けに向けて畑を整える作業と並行して、収穫した綿から糸紡ぎをしたり機織り機で布を織ったり、それを時には地元の方々に体験してもらいながら、翌年から一般の方向けに実施する体験メニューをどんな内容にするのかを考えていきました。
綿が糸になるまでを体感してほしい
ところで、ふわふわした綿がどうやって糸になるのでしょう。岩崎さんに実演していただきました。
- 綿くりをする
綿くり機という木製の機械を使います。ローラーとローラーの間に、種が入ったままの綿を、ハンドルを回しながらはさみこませていくと、手前から向こう側に押しつぶされながら出ていくあいだに、種は手前に、綿は向こう側にと分かれる仕組みです。 - 綿を整えます
カーダーと呼ばれる、ブラシのようなものを使います。細くて短いステンレスの針が密に植わっている、ブラシのようなものを両手に持って綿をはさみこみ、細かく梳いていきます。
- 糸を紡ぐ
ふわりと細くなった綿を、指で撚りながら引っ張り、糸を紡いでいきます。スピンドルと呼ばれる、指でくるくるとまわしながら糸繰りをする道具を使う場合もあれば、手回しの糸車を使う場合もあります。どちらも指先の感覚に意識を集中して、糸の撚れ具合を確認しながら、一定の速度でスピンドルや糸車を回します。
人の手の力と感覚だけで糸が出来上がる様子は、見ているだけでも感動しました。岩崎さんはこう話します。
「糸がこうやってできるということを体感してほしいんです。自分の手を動かして何かができたという喜びや、ものごとの成り立ちを知る経験は、自信になると思うんです。特に子どもたちに何かを感じてもらえるといいなと思っています。」
コロナ下でも、できることを前向きに
岩崎さんは、綿から糸を紡いでアクセサリーを作るという体験メニューを準備して、2020年の春から実施するつもりでした。ところが、コロナ禍で観光客や修学旅行生は激減。手指の消毒や検温、空気清浄機の設置などの感染予防策を講じてはいても、大々的に参加者を募る状況ではありません。
岩崎さんは身近な知り合いなどに声をかけ、50人以上の方々にモニターとして体験してもらいました。なかには、自ら体験にやってきた花火師さんもいたそうです。花火の中に綿の種を入れて作ることから、綿について知りたいと訪ねてこられたそうです。
「いろいろな方に体験してもらうことで、メニューをよりよいものにすることができました。その点では、いい準備期間になったのかなと思います。外出自粛で思いがけず自分の時間もできたので、糸を紡いだり機織りをしたり、作品作りにも集中できました。」
今年に入ってからもコロナ禍が収束する気配はなく、先行きは不透明なまま。そんななか、岩崎さんの体験メニューが、武家屋敷通り沿いにあるお屋敷を借りて本格的にスタートすることになりました。ちょうど種まきの時期だったので、まずは昨年収穫した綿花を綿と種にわける綿くりの体験会を行いました。
「来てくださった方には、綿の種もお配りしました。なかには、ふらりと立ち寄って下さった観光客の方もいらっしゃって、ゴールデンウイークの5日間で150人ほどの方が来てくださいました。何事もなくてほんとによかったんですけど、感染予防対策を考える上では、今後もう少し工夫していかなくてはいけないなと思っています。」
手間と時間をかけて和綿を育てて収穫し、いよいよこれからというときにコロナ禍に見舞われた岩崎さん。3年間の任期のうちのおよそ半分は、コロナと折り合いをつけながらの活動となりましたが、9月の任期満了後もしばらくはこの地で暮らし続けるつもりです。今後は多くの人に綿を育ててもらって、収穫した綿花を買い取るしくみもつくれたらと考えています。
「私を採用してくれて、自分のしたいことをさせてくれて、サポートしてくれたみなさんには感謝しかありません。綿を育てて布を織るまでにはとても時間がかかり、効率がいいとは言えませんが、今後は手ぬぐいなど暮らしで身近に使うものを織っていきたいと思っています。」
岩崎さん、実はインド料理も得意で、講習会を開くほどの腕前です。今後は、飲食店や民泊の受け入れもやってみたいと思っています。
さいごに
取材の中で、少しの時間ですが、糸紡ぎを体験させてもらいました。指先から繰り出されていく糸に意識を集中して手を動かしていると、雑念が消えていき、ささやかな喜びを感じました。
便利が極まったような今の時代に、あえて時間をかけ、体と手先を動かして、布を一から織り上げてみることにした岩崎さんの思いが、少しわかったような気がしました。岩崎さんと一緒に糸を紡ぐ時間が、知覧の武家屋敷観光の新しい魅力になるといいなと思います。