戦後80年を迎えたこの夏、母が亡くなりました。日々の暮らしの中で、母の笑顔や優しい声が思い出され、寂しく思う日々です。
母の戦争体験をまとめた本「私が子供だった頃」については前回、住吉記者が伝えてくれましたが、母の日々の手仕事、保存食作りについても度々「てのん」の中で紹介してきました。母の手仕事を改めて紹介し、その知恵や工夫を少しでも受け継いでいけたらという思いでいます。
ソウルフード!コッペパンは母の味
Webサイト「てのん」の活動を始めた8年前、私が初めて書いた記事が「ソウルフード!コッペパンは母の味!」でした。
「てのん」の活動を始めたきっかけは、身近な人たちの暮らしや生き方の中から、大切にしていきたいこと、残していきたいことを文字にして伝えていきたいという思いからでした。地層が積み重なるように人の声を重ね、その「ことづて」をコツコツと紹介できたらという思いです。
その初めに書こうと浮かんだのが母のコッペパンでした。
私たち子どもや孫のために数えきれないくらい焼いたであろうコッペパンは、母の愛情がたっぷりとこもった、他にかえがたいおやつでした。
母は、娘の私が言うのもなんですが、本当に日々の暮らしを大事に丁寧に生きた人でした。子供たちのおやつは手作りを心がけ、味噌や梅干し、漬物、干し野菜作りなど、市販のものに頼らず、出来るだけ自分で作るようにしていました。
その姿は、子どもだった頃の私にとっては当たり前のように映っていましたが、自分が家庭を持つようになって、いかに母が丁寧に細やかに暮らしていたのかがわかるようになりました。本当にそのことに気づいたのは、ここ10年くらいの事で、「てのん」の活動を始めたこともきっかけとなり、母の手仕事を記録し、自分も母の暮らしの知恵や手仕事を少しでも受け継いでいきたいと思うようになりました。その思いを込めて、この8年の間に、数多くの母の手仕事を「てのん」の中で紹介してきました。
梅干し・漬物・干し大根・・保存食作り
梅仕事
6月の梅の収穫時期は、毎年梅仕事をするのが恒例でした。
梅干しはもちろん、梅ジュース、梅味噌、梅エキス・・1年間保存がきくように、この時期母は梅仕事に精を出していました。
父が定年退職後の楽しみに田舎の山に20本の梅の木を植えてからは、それまでより大量に梅が手に入るようになり、私の家にもたくさんの梅が送られてきました。
私も母に教わりながら、梅仕事をするようになりました。
梅仕事の記事の中でも書きましたが、田舎で育った母が小さかった頃は、どの家も庭に梅の木を植え、梅干しを大量に作っていたそうです。当時の食事は質素だったので、朝ご飯はご飯とみそ汁と梅干しや漬物。1年間の食を支える梅干しを漬けることは、どの家庭でも大事な作業でした。
干し大根、干し竹の子
様々な食べ物が1年中出回る今の時代に生活する私たちは、保存食を作らなければ!という意識があまりありません。温室栽培などで季節にかかわらずどの野菜も手に入ります。しかし母の世代の頃までは、その季節にしか収穫できないものがあり、しかも冷蔵設備や、缶詰、真空パックなどもない時代、旬の食材を知恵と工夫で、さまざまに加工し保存してきました。
その暮らしが身についている母は、梅干しはもちろん、漬物や、干し野菜など、その時期にしか収穫できないものを1年間保存するための作業を、忘れずにずっとし続けてきたのだと思います。
母には「この時期にはこれを作らなきゃ気が落ち着かない。」という保存食がいくつもありました。
「てのん」の中では、干し大根や干し竹の子作りを紹介しました。
また、この他にも、思い出すだけでも「つわぶきの佃煮」「山椒の葉の佃煮」「大根の味噌漬け」「らっきょう漬け」「しょうがの甘酢漬け」「高菜漬け」「白菜の漬物」「干し柿」など、本当にいろんな保存食を作り、台所は様々な食材が入った保存用の瓶や壺がたくさん並んでいました。
「にがうりの佃煮」「大根の柚香漬け」は「てのん」の中で作り方を紹介しました。
鹿児島の郷土菓子「あくまき」「ゆべし」
男の子の健やかな成長を願う端午の節句に昔から作られてきた鹿児島の郷土菓子「あくまき」。
作り方も手間がかかり、今では鹿児島でも、家庭で作る方はほとんどいらっしゃらなくなってきているのではないでしょうか。
母は、その「あくまき」や鹿児島独特の「ゆべし」も作っていました。
「あくまき」は、私にとってはまだハードルが高いですが、「ゆべし」は母から作り方を聞いたり、郷土料理の本などを参考にしながら作ってみました。
鹿児島のお盆料理、おせち料理
そして、母は季節ごとに作る行事食も大切にしていました。お盆料理、おせち料理はもちろんのこと、七草がゆ、鏡開き、ひな祭りにはちらし寿司、お彼岸にはぼた餅と、母の気持ちからすると、きっとその行事の日に作らなければ、手を抜いている感じがしたのかなあと思います。その思いは、娘の私にも受け継がれていると思います。「お母さんが作っていたから私も作らなきゃ!」というちょっとしたプレッシャーというか使命感みたいなものを感じながら、ここ10年はなんとか頑張って作っています。
2021年、88歳になった時、母は介護施設に入りました。それ以降は、母の手作りの料理が食べられなくなりました。だから一層母の手仕事を受け継いでいかなきゃという思いが強くなっていったと思います。
こうして振り返ってみると、母が本当にこまめで、日常の暮らしを丁寧に生きてきたことを改めて感じます。
決してぜいたくな暮らしではなかったけれども、手作りのおやつに、季節ごとの食事、愛情のこもった食卓があった私たち子どもは幸せだったなあと心から思います。
手作りの服
さらに、母は、子供達や自分の服もほとんど手作りをしていました。
私の服も高校時代まではすべて手作り、大学生の頃は時々既製品を自分で買ったりしましたが、ほとんどが母の手作りの服を着ていました。時々流行りの既製品に憧れたりもしましたが、今考えると、私の寸法に合わせた「オーダーメイド!」なんと贅沢なことだったんだろうと思います。
母への感謝を胸に・・
母が亡くなり、とても寂しくなりました。愛情深く、優しく、丁寧に育て、見守ってきてくれたことに本当に感謝しています。
そして、この記事を書くために、これまで書いてきた母の手仕事の記事を読み直して気づいたことがありました。
それは、これだけの母の手仕事を文章にし、こうして記録していることで、母がいなくなった後も、記事に書いたレシピや作り方を見ながら、私も作っていけるという事です。
「お母さんのあの味が忘れられないんだけど、どうやって作っていたんだろう?」ではなく、生前、きちんと聞いて、それを記録していたから、私も作れる!そして、次の代にも伝えていけるという事です。
「てのん」の活動を始めたきっかけ、それは、身近な人たちの暮らしや生き方の中から、大切にしていきたいこと、残していきたいことを文字にして伝えていきたいという思いからでした。
改めてそのことの大切さが身に染みています。
母のやってきたことのすべてを受け継いでいく事はなかなか難しいと思います。しかし、昔から伝わる暮らしの知恵、母が残してくれた多くの知恵を大事に思い、私も日々の暮らしの中で生かしていきたい、受け継いでいきたいと思っています。










