実家の梅の木、今年は豊作で148キロも収穫できました。母は、「梅干し」を25キロ、昔ながらの家庭薬「梅エキス」を作っていました。
実家の梅は、田舎の山に植えられています。
ウグイスが「ホーホケキョ♪」とさえずり、ホトトギスが「テッペンカケタカ♪」と鳴き交わし、梅ちぎりをした母たちは「まあ~!上手に鳴けるわね~!」と鳥たちと会話しながら楽しく作業をしたそうです。
そうして収穫した梅は、およそ148キロ。
この梅をどのように仕分けしたのでしょうか?
母に尋ねたら、ちゃんとノートに書き留めていて正確に報告してくれました。
148キロの梅の仕分け
- 近所の方へのおすそ分け・・合計52キロ
梅を3キロずつ秤で量り近所の方へ配ったり、お世話になっている方へ5キロ、6キロ配ったり、合わせて14人の方へおすそ分けしたそうです。 - 子供たちへ・・・・・・・・合計56キロ
3人の子供たちへ梅のプレゼント。私の所へは14キロ届きました。
子育て一段落の姉は、倍の28キロを引き受けました。となると、残りは40キロですが・・
- 母の梅仕事・・・・・・・・合計40キロ
私は14キロの梅で「フーフー」言っていたのに、85歳の母は40キロの梅仕事です。来年は梅があまり取れないかも知れないから、来年の分まで作っておこうと、普段のおよそ2倍の25キロの梅干しを漬けることにしたそうです。私はまだ梅干しを漬けたことはありません。こうして母が作ってくれる梅干しを、まだ頼って毎年送ってもらっています。
以下、母の梅仕事の内訳です。
母の梅仕事
- 梅干し・・・・25キロ
- 梅エキス・・・6キロ
- 梅ジュース・・3キロ
- 梅酒・・・・・3キロ
- 梅みそ・・・・3キロ
母の梅仕事のうち、「梅干し」と「梅エキス」の作り方をご紹介します。
各ご家庭によって作り方もいろいろあると思いますが、母が昔から作っている方法です。
「あくまき」作りの時と同じように、助手を務めた姉に写真を撮ってもらいました。
梅干しの作り方
梅25キロに対し、梅の重さの10%(2.5キロ)の塩を用意します。
昔は20%の塩で漬けていたそうですが、10%でもカビは生えないそうなので、減塩のため塩を少なめにしています。
- 梅は洗って一晩水に浸けます。
- 梅をざるにあげて水切りをします。
- 甕にお酢を回し入れます。ジャバジャバ程度。殺菌のためと呼び水の効果もあります。
- 梅の重さの10%の塩を準備します。ボウルに小分けした梅を入れて一握りの塩をごりごりとまぶしつけます。25キロ分この作業をするのは大変です。
- 甕に④の梅を入れ、その上に塩を一振りします。それを繰り返し、梅を重ね入れていきます。
- 梅を全部入れたら残りの塩を“雪が降ったように”振りかけます。
- 梅を入れた甕に重しを乗せます。
- ほこりが入らないようにビニールで覆います。
※水が上がって、梅が全部浸かったら重しを軽くします。そして、赤しそが出回る時期まで待ちます。このままでも塩漬け梅として食べられますが、赤しそで漬けると赤い梅干しになります。
今の作業はこれでおしまい。この後の作業は、また、その時期になったらお伝えしたいと思います。
梅エキスの作り方
梅エキスは、食あたりや疲労回復などに効果があり、昔から家庭薬として作られているそうです。作るのに手間がかかりますが、今年は梅がたくさんできたので久しぶりに作ったそうです。
- 梅を実と種に分けるため、保存袋(ジップロック等)に入れて、すりこ木でバンバン叩きます。ストレス解消効果ありだそうです(笑)。
- 梅を実と種に分けます。
- 実をフードプロセッサーで細かく潰します。
- 細かく潰した実を、布巾で濾(こ)します。かなりドロドロして濾しにくいので、少量ずつ濾したそうです。
※ここで驚いたのは、潰した実を加熱してエキスを作るのかと思っていたら、潰した実を濾した汁で作るそうで、大変な作業だなあと思いました。 - 濾した汁を土鍋で時々かき混ぜながらゆっくり加熱します。
一日目・・焦がさないように、ゆっくりゆっくり1~2分に一回まぜ続けます。
(初日は7時間火にかけたそうです。)
一晩おいて二日目・・・また8時間火にかけました。
こうして水分が蒸発し、とろみのある濃いエビ茶色のエキスが出来上がります。
最初の濾した汁の一割程度の量になるそうです。
※合計15時間も混ぜ続ける本当に根気のいる作業です。
こうして出来た梅エキスが、先日福岡の家にも届きました。6キロの梅からできた梅エキスは、この手のひらに乗る保存ビン3本だったそうです。
私が小さいころから、お腹がキューっと痛くなった時などに、母はお箸の先ですくった少量の梅エキスをなめさせていました。するとしばらくしたら不思議とお腹の痛さが収まったのを覚えています。ですので、母から送られてきた梅エキスを、私も子供たちに同じようになめさせていました。
母が梅エキスを作ったのは3~4年ぶりだと思いますが、梅エキスは殺菌力が強く何年も食べられます。
そして、母は梅ジュースや梅みそも作りました。
母は以前「梅仕事は疲れない。」と聞いたことがあるそうです。
梅の実から出るクエン酸などの効果(疲労回復などに効果あり)で、大変な梅仕事でもあまり疲れが出ないという事です。真偽のほどはわかりませんが、母も疲れも見せず40キロの梅仕事をきちんとこなし、本当に偉いなあと思います。
では、母の小さい頃の梅のお話を少しだけお話します。
母の小さい頃の梅のお話
田畑が広がる田舎で育った母。
集落の家の庭には必ず梅の木が何本か植えられていました。当時の食事は質素だったので、朝はご飯とみそ汁と梅干しか漬物。戦時中の食糧難の頃は、いわゆる日の丸弁当(ごはんに梅干し一個)の時もありました。
今よりも食べ物の種類が少ない分、梅干しの消費は多かったと思います。ですので母の実家では、収穫したほとんどの梅を梅干しにしていて、毎年大きな甕一杯(30キロ~40キロ位)作り、残りで梅エキスも作っていたそうです。
一年の食を支える梅干しを、今の時期に漬ける事はどの家庭にとっても大事な作業だったんですね。
また、当時砂糖は貴重品だったので、梅酒や梅ジュースといった砂糖を多く使うものは、暮らしも落ち着き、生活に少し余裕の出てきた昭和40年代ごろから作り始めたそうです。
ほとんどの地域で梅雨が明けましたね。
この「梅雨」という字、諸説あるようですがこの時期に降る雨が「梅の実が熟す頃」にあることから、「梅雨」といわれるようになったという説もあります。
「梅」が、昔から人々の生活に欠かせないものだったということを、この「梅雨」という言葉からも感じることができます。
昔からの暮らしの知恵を、今も実践し続けている母から学ぶことが多いことを実感しています。そこには残したい鹿児島の暮らしの風景があるように思います。
これからも「おばあちゃんの手仕事」というカテゴリーで、母の折々の暮らしの手仕事を時々ご紹介できたらと思っています。