先日は、久留米市美術館で開かれていた星野道夫展についてお伝えしましたが、久留米に行ったのは、もう一つ目的がありました。
戦時中の人々の暮らしを紹介した、「平和資料展 軍都久留米の風景とくらし」を見に行くためです。
夏休みの自由研究として、戦争について調べることにした娘。当時女学生だった方から戦争の体験を聞き、さらに戦争について知るために、この資料展に来ました。
当時女学生だった方から、出征兵士のところには召集令状(赤紙)がきた。
女性たちは、出征兵士のお守りとして千人針をした。夜は明かりがもれないように灯火統制があった・・などの話を聞きましたが、それらの実物が多く展示されていたので、娘も「これが千人針なんだね」「召集令状はやはり赤い紙なんだね」と、一点、一点、興味深く見ていました。女学生だった方の話を実感を持って受け止めたようです。
戦争について、実際に話を聞く、そして、実際にその当時の暮らしがわかるものを見る、という経験はとても大事なものだと思います。
(久留米の風景とくらし展から)
軍隊に召集されるときに届いた。赤い紙だったので通称赤紙といわれていました。役場から直接渡され、期日までに指定の部隊に出頭しなければなりませんでした。
出征兵士の無事を祈るために、赤い糸で大勢の女性に、一人一つの結び目を縫い付けてもらったもの。千人針は、兵士の銃弾除けのお守りとして、出征兵士に渡されました。
出征兵士を見送る時は、このような幟を掲げていました。幟には「祝」の文字があり、出征を誉れとしていた事がわかります。
(戦時中の人々の生活は・・)
「腹一杯は勿体ない・・」と、節食を呼びかけています。この他、戦時中のスローガンとして、「贅沢は敵だ!」というものもあり、戦争を遂行させるため、国民に耐乏生活を強いていました。
昭和16年8月に金属類回収令が公布。武器生産に必要な金属資源の不足を補うためにとられた政策で、お寺、神社、官公署、家庭の区別なく根こそぎ金属類が回収されました。
「ただ殉国の一すじに・・」表紙女性の服装は動員服。表情に笑顔はありません。
戦没者が出た家の玄関先や門柱に取り付けられました。
当時はお金で自由に衣料品を買うことはできず、代わりに国が各家庭に配った「衣料切符」で交換してようやく手に入れることができました。
次回は、同じく「軍都久留米の風景とくらし」に展示されてあった、「爆弾三勇士」についてお伝えしたいと思います。
※「軍都久留米の風景とくらし」展は、9月24日(日)まで、六ツ門図書館展示コーナー (福岡県久留米市六ツ門町3-11)で開かれています。
※展示物の撮影は許可を取って掲載しています。
