去年4月、10年近くにわたって茶道を教えて下さっていた谷山宗徳先生が他界されました。
月2回のお稽古。ご病気になられてからも1回もお休みすることなく、茶道の道を極めることの厳しさ、お茶を楽しむ心を教えて下さいました。
先生との年始めの恒例となっていたのが京都から取り寄せて下さる花びら餅を頂きながらのお稽古でした。今年はもう出来ないと思っていた矢先、思わぬ知らせが届きました。
長年、お稽古場として使わせていただいていた鹿児島県青年会館・艸舎(そうしゃ)のみなさんから「先生を偲ぶ会」をされませんか、とのお誘いでした。
思いがけない嬉しい知らせに、先生の奥様も一緒にお稽古をしていたお仲間もすぐに快諾。
この日、艸舎(そうしゃ)のみなさんとご一緒に谷山先生を偲びながら新年のお茶をいただくことになりました。
その日の朝、奥様が季節の椿をたくさん持って来て下さいました。
先生は長年茶花も嗜まれ、茶花を活ける達人でもありました。
そしてお軸には、京都・東福寺の管長猊下からの届いた書が掛けられました。
先生は39年間、京都の東福寺で庭師を務めてこられ、それがご縁で、毎年、年始めに東福寺の管長猊下(東福融道様)から自筆の書が届いていました。お亡くなりになった今年も、変わりなく奥様の元に送られてきました。
自分の役目を果たすことの大切さを伝える言葉です。
戌年に因(ちな)んで、東福寺の管長猊下自ら書いて下さった書。新年のお軸は、格別に心改まるものです。
そしてあの「花びら餅」を奥様が、この日に合わせて京都から手配して下さっていました。
初釜のお菓子としても知られる花びら餅は1月にしか出回らないこの時期だけのお菓子です。しかも京都の鶴屋(つるや)弦月(つるつき)さんの「花びら餅」は絶品。ふっくらした半円の求肥(ぎゅうひ)に味噌餡とふくさごぼうがくるまれていて、何ともいえない優しいお味なのです。私たちにとっては、皆そろって一年を始められることを慶び合う先生との思い出のお菓子でした。
こうして先生も一座に加わっていただきました。
実は、この日のお茶会には艸舎(そうしゃ)さんの格別な計らいがありました。
青々とした新畳の匂いのする和室。畳が1月9日に新調されたばかりだったのです。
その使い初めとして、この席を設けて下さったのです。
「私共のところも開館から18年が経ち、思い切って畳替えを致しました。その時、真っ先に思い浮かんだのが谷山先生の事でした。海外からの研修生が来た時にいつも、ここでお抹茶とお菓子でお迎えして下さり、茶道のたしなみを教えて下さいました。ご病気になられてからも、最後までお教えになっていた姿を思い出します。昨日まではここは立ち入り禁止にしておりました。(笑)きょうが、本当の使い初めです。」
青少年の学びの場や国際交流の場としても活用されている艸舎(そうしゃ)には、度々海外からのお客様もお見えになり、日本の伝統文化の茶道に触れてもらおうと、先生のご指導の下、毎年この和室でささやかなお茶席の場を持たせていただいていました。
一服のお茶を頂きながら、先生との思い出が蘇ってきました。
京都で庭師をしながら、40年間に渡って茶道の道を究められてきた谷山先生。京都では週一回のお稽古を一度も休まれることはなかったという程、その道に対する姿勢は厳しいものでした。
茶道教室では、未経験者が多い私たちに、茶道に触れる楽しさを教えて下さいました。
そして、折々にお茶会やお茶事など京都で経験されてきた本格的な茶道のいろはを経験させても下さいました。
ここ数年は、パーキンソン病を患いながらも、お稽古の始まる時間には、いつも絶妙に季節の花が活けられ、その日にふさわしいお軸が掛けられ、完璧なご準備で私たちを迎えて下さいました。
今にして思うとあの時、あの時間が二つとない一座だったのだと感じられてきます。
最も重要なことは、茶道を学ぶということは、同時に精神修養を行っているということです。」谷山先生の言葉です。
「主人が、きょうはここにいるみたいですわ。」奥様の声を聞きながら、本当に先生がこの場所にいらっしゃるように感じられて来ました。
お軸の「戌」の書が次に掛かるのは12年後…
今朝の椿も、この時のために咲いてくれています。
そんなことを考えていると、今この時が一期一会。
この日、この場所で、このメンバーで、谷山先生を偲び、お茶を飲みながら、同じ時間を過ごせたことの有難さを改めて感じました。
お点前はすっかり忘れてしまった感のある私ですが、日々の暮らしもこんなふうでありたいと感じさせていただけるのは、きっと谷山先生の茶道の教えがあったからこそと思います。
そして、このような機会を作っていただいた艸舎(そうしゃ)の皆様に心からお礼申し上げたいと思います。