MBC-HP
「ぶらり旅」

てくてく歩いてリフレッシュ!~鹿児島市城山散歩~


こんな記事も読まれています 執筆者:

新しい年が明けたと思ったら、もうツルが北帰行を始めたとか。気づけば日が暮れるのが少しずつ遅くなっていて、春はそう遠くないことを感じさせてくれます。そろそろ寒さになまった体を動かしたくなって、鹿児島市の城山に出かけてみました。標高107メートルの城山は、植生が豊かで史跡も多く遊歩道が整備されているので、散策にはもってこいです。

山頂からいざ出発

鹿児島市の城山は、南北朝時代には上山氏の山城だったとされていて、のちの慶長6年(1601)に島津家18代当主の家久が麓に館を構えて鹿児島城となったそうです。そんな城山には複数の登り口があります。歩ける範囲でいくつかまわってみることにしました。山頂の城山公園展望台の駐車場に車をとめて、いざ出発。県外ナンバーの車が多くて、自分も旅人になった気分です。まずは山を下って鹿児島城の大手口跡へ向かいます。

俯瞰で眺める街の景色はいつもと表情が違って新鮮です。俯瞰で眺める街の景色はいつもと表情が違って新鮮です。

10分ほどで照国神社横の大手口跡に到着。当時をしのばせるものはありませんが、幹回りがひと抱えほどもある大木が立っていました。

大手口跡の登り口大手口跡の登り口
ここに根を張ってからどれくらい経つのでしょうここに根を張ってからどれくらい経つのでしょう

交通量の多い国道が近いのに、あたりはとても静か。何かがヒュッと目の前を横切ったと思ったら、ウグイスでした。

交通量の多い国道が近いのに、あたりはとても静か。何かがヒュッと目の前を横切ったと思ったら、ウグイスでした。

照国神社にお参りをして、遊歩道に向かいました。

島津家28代当主の斉彬公をまつります島津家28代当主の斉彬公をまつります

遊歩道を行ったり来たり

遊歩道には、数か所の入り口があるのですが、まずは照国神社横の探勝園の入り口から登っていきました。なだらかな坂道です。

城山公園の入口へと続いていました城山公園の入口へと続いていました

案内板によると、城山公園は鹿児島市最初の公園として、明治23年に開設。城跡であり西南戦争の激戦地としても知られますが、常緑広葉樹やシダ類、亜熱帯植物など600種類以上の植物が自生している自然豊かな場所で、国の史跡・天然記念物に指定されているそうです。しばらく行くと、かすかに水の滴る音が聞こえてきました。よく見ると、山肌から水がしみ出しているところがあります。葉先にむすぶ水の玉がとても美しく、しばらく見とれていました。

案内板によると、城山公園は鹿児島市最初の公園として、明治23年に開設。
よく見ると、山肌から水がしみ出しているところがあります。

遊歩道を進むと、見慣れない側溝が。「環境配慮水路」との説明板が立っています。蓋がなく、階段のようなものがついています。

遊歩道を進むと、見慣れない側溝が。「環境配慮水路」との説明板が立っています。蓋がなく、階段のようなものがついています。

実はこれ、側溝に落ちてしまったカエルなどの小動物が、脱出できるように作られたのだそうです。城山は生き物のすみかなのですね。

写真上の蓋のある側溝に落ちても手前の水路から脱出できるのだとか写真上の蓋のある側溝に落ちても手前の水路から脱出できるのだとか

まっすぐ山頂の展望台に向かうこともできるのですが、せっかくなのでいったん遊歩道の別の入口の方に下りることにしました。ここには薩摩義士の碑があります。江戸時代、幕府の命により木曽三川(岐阜県の木曽川・揖斐川・長良川)の改修工事に携わった薩摩藩士。一年余りの難工事の末完成はしましたが、88人が命を落としました。270年ほど前の出来事ですが、一人一人の名前が刻まれた碑を見ると、それぞれに人生があり家族があったことを思ってしんみりとした気持ちになりました。

木曽三川流域の方々との交流は今も続いています木曽三川流域の方々との交流は今も続いています

城山公園展望台へ

ふたたび城山公園展望台を目指して歩きだすと、しだいに木々の緑が濃くなってきました。トンビの声に空を見上げてはじめて、あたりがうっそうとしていることに気がつきました。クスノキやムクノキの大木が次々に現れます。

ふたたび城山公園展望台を目指して歩きだすと、しだいに木々の緑が濃くなってきました。
トンビの声に空を見上げてはじめて、あたりがうっそうとしていることに気がつきました。クスノキやムクノキの大木が次々に現れます。

「バリバリノキ」や「バクチノキ」という面白い名前の木にも出会いました。

名前の由来は、硬い葉が触れ合うときの音とか、枝や葉に油分が多くてよく燃えるからとか、諸説あるようです名前の由来は、硬い葉が触れ合うときの音とか、枝や葉に油分が多くてよく燃えるからとか、諸説あるようです
幹の外皮がはがれて紅黄色の木肌が現れてくる様子を、博打に負けて衣服まではぎとられた人にたとえて「バクチノキ」というのだそうです幹の外皮がはがれて紅黄色の木肌が現れてくる様子を、博打に負けて衣服まではぎとられた人にたとえて「バクチノキ」というのだそうです

カサコソカサコソとだれかが落ち葉をかきわけているような気配がします。音をたよりにさがすとシロハラを発見。冬を越しにやってくる鳥で、我が家でもよく見かけるおなじみさんです。落ち葉を派手にひっくり返しながらエサ探しに夢中です。

カサコソカサコソとだれかが落ち葉をかきわけているような気配がします。

群れでやってきて木の葉を揺らしているのはヤマガラです。

群れでやってきて木の葉を揺らしているのはヤマガラです。

ふいに船の汽笛が聞こえてきました。音が大きくて、あらためて海の近さを感じます。そうこうしているうちに展望台に到着。

ふいに船の汽笛が聞こえてきました。音が大きくて、あらためて海の近さを感じます。そうこうしているうちに展望台に到着。

なんと、桜島の手前に帆船がいます。調べてみると数日前に海王丸が入港していたようです。2隻の船に伴われてちょうど出港するところでした。先程の汽笛は海王丸のものだったのでしょうか。

なんと、桜島の手前に帆船がいます。調べてみると数日前に海王丸が入港していたようです。2

鹿児島城の新照院口跡へ

展望台をあとにして、今度は鹿児島城の新照院口跡を目指しました。つづら折りの急な階段を慎重に下ります。

つづら折りの階段ですつづら折りの階段です

階段を下りきったところは閑静な住宅街で、住人の方が落ち葉の掃除をされていました。こんにちはとあいさつすると、ニコニコしながら「この坂は無言坂と呼ばれているんですよ」と教えてくださいました。上るのが大変で思わず無言になってしまうからだとか。地元の中学生が体力づくりに上ることもあるそうで、暮らしに根付いた場所になっているようです。

往時をしのばせるものはなく静かな佇まいです往時をしのばせるものはなく静かな佇まいです

展望台の駐車場に戻るには、ここを上るしかありません。息を弾ませ足をワナワナさせながらようやく上り切りました。たしかに、無言坂でした。

新照院口側の公園入口に戻ってきました新照院口側の公園入口に戻ってきました

駐車場近くの階段を上ると、ドン広場と呼ばれるところがあります。明治30年から40年余りにわたって、この場所で正午を知らせる空砲がはなたれていたことから、そう呼ばれているそうです。その奥には西南戦争の薩軍の本営跡が。

ドン広場ドン広場
薩軍本営跡薩軍本営跡
メジロがビワの花の蜜を吸っていましたメジロがビワの花の蜜を吸っていました

草木や生き物たちを育みながら、歴史を見続けてきた城山。ゆっくり歩いてこそ感じられることも多くて、楽しい散策でした。万歩計を見ると8000歩を越えていましたが、気分はすっきり。今年も足腰の衰えにあらがうべく、まちや野山を歩いてみたいと思います。

この記事が気に入ったら
いいね ! してね

あわせて読みたい