幕末期、幕府に追われている月照上人をかくまった、福岡県太宰府市の松屋。
そのエピソードについては以前お伝えしましたが(西郷隆盛ゆかりの地シリーズ2をご覧ください)、今回は、その縁で今も続く心温まる話をご紹介しましょう。
毎年、十月になると京都の清水寺から一通の案内が届きます。
月照上人の命日である11月16日に行う法要の案内です。
月照上人は、清水寺の住職をしていました。
松屋の第六代当主 栗原雅子さん。
出席したい気持ちはあるものの、商売で忙しいのでなかなか京都までは行けません。
そこで毎年、法要にお供えしていただくお饅頭を送ることにしています。
数年前、栗原さんは庭の柿の木を見て、ふと思いつきました。
どんな事を思いついたのでしょうか?
9月末に松屋を訪ねた時は、庭の柿の木は、葉も実も青々としていました。
そして、2か月近くたった11月15日に訪れると、葉は美しく赤に色づき、実もきれいな橙色に変わっていました。
「5~6年前になるでしょうか?
月照さんの御命日の頃、柿の葉が、赤々として本当に美しかったんですよね。
月照さんをかくまった時、当時の当主孫兵衛は、せめてもの気晴らしにと近くの宝満山に紅葉を見に月照さんを連れて行っているんです。
そんな事もあって、太宰府の柿の葉も今年もこんなにきれいに色づいているんですよと、お饅頭と一緒にお送りしようと思ったんですね。」
それ以来、栗原さんはお饅頭と一緒に、柿の葉も送っています。
11月15日の午前中、栗原さんは、柿の葉を選びながら一枚一枚丁寧に取っていきます。
柿の葉を50枚ほど取りました。
月照上人に届ける、思いがこもった柿の葉です。
すると、ほどなくして、松屋の2軒隣の老舗の和菓子屋「梅園」の森田礼子さんが柿の葉を受け取りに来ました。
栗原さんは、法要にお供えするお饅頭を、毎年「梅園」に頼んでいるのです。
柿の葉を受け取った森田さんは、自分の店に戻ります。
そして柿の葉を丁寧にビニール袋にいれて、お饅頭100個と共に箱詰めします。明日の法要に間に合うように宅配便で送るのです。
柿には、もう一つの思いがあります。
月照上人が都から逃げる道中、あまりの空腹に耐えかねて、農家の方に柿の実を所望し、飢えをしのいだという話が残っているそうです。
その事を心に止めていた5代当主の孫一郎さん(栗原さんの父)、庭の柿の実を干し柿にして、清水寺に送る事を思いつきました。
「我が家の柿も、月照さんにお供えしてほしいと思ったんでしょうね」
それは栗原さんにも受け継がれ、以来二十数年間、清水寺に干し柿を送り続けています。
干し柿は、これから作って年の暮れに送るそうです。
そして清水寺の森清範貫主からは、毎年、丁寧なお礼の言葉とお礼の品が届くそうです。
月照上人は、西郷隆盛と共に錦江湾で入水自殺を図り、西郷さんは奇跡的に助かりますが、月照上人は命を落とします。
1858年11月16日のことでした。
それからおよそ160年。
松屋には、手厚く月照上人をかくまった栗原孫兵衛の精神も代々受け継がれているような気がします。
観光客の方に気さくに声をかけ、取材に訪ねた私にも、お忙しいにもかかわらず丁寧に対応して下さった栗原さん。
栗原雅子さんもまた、懐の深い、まごころのある温かな方だと思います。
そういうご家族だからこそ、清水寺との心の通い合う交流が長く続いているのだと思いました。
小さな偶然
ところで・・
梅園さん、かつては「泉屋」という土佐藩の定宿でした。
坂本龍馬も泊まったかもしれない伝承もある場所です。
お饅頭を包みながら森田さんが「今日は、坂本龍馬の命日なんですよね」と話されていました。
坂本龍馬の命日の11月15日に、「梅園」に初めて伺った偶然にも驚きました。
最後に、梅園の代表的なお菓子をご紹介しましょう。
「宝満山」と「うその餅」。
「宝満山」は、卵の凝縮されたコクや甘みが口に広がる、上品なお菓子。
作家の松本清張や川端康成、元総理大臣の吉田茂らにも好まれたそうです。
そして、「うその餅」は青じそ風味の求肥に若草色のそぼろをまとったお菓子。
太宰府天満宮の神事「鷽(うそ)替え」にちなんだ縁起物のお菓子で、一箱に一個、博多人形のうそ鳥「土うそ」が入っています。
(お正月から2月初めごろまでは、木彫りの「木うそ」が入ります。)
※鷽(うそ)は、実在する鳥で、天神様のお使いの鳥と言われています。
太宰府には、梅ヶ枝餅の他にもいろんな名物がありますよ。
アクセス
★太宰府天満宮
★松屋・喫茶「維新の庵」
★延寿王院
★国指定特別史跡 大宰府政庁跡
★観世音寺
★戒壇院
※下の地図の赤のマーカーをクリックすると場所が表示されます。