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「ぶらり旅」

藤川天神の臥竜梅と久留須梅をたずねました


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立春を過ぎ春一番が吹いても季節は行きつ戻りつ、まだまだ冷え込む日もありますが、陽射しは日に日に輝きを増して日なたはぬくもりいっぱいです。お天気がいいと上着を一枚軽くして、どこかへ出かけたくなります。ちょうど梅が咲くころです。梅の名所に足をのばして、花を眺めてのんびりすることにしました。向かったのは、臥竜梅で有名な薩摩川内市東郷町の藤川天神です。

藤川天神は咲き初めの梅

出かけた日はすっきりとした青空が広がり、縮こまったからだがほぐれるようなうららかな日和でした。藤川天神へと向かう県道沿いには梅の木が植えられていて、紅梅が鮮やかに咲いていました。
藤川天神へと向かう県道沿いには梅の木が植えられていて、紅梅が鮮やかに咲いていました。

藤川天神の駐車場に着くと、たくさんの車が止まっていました。さすがは梅の名所です。藤川天神の臥竜梅は国の天然記念物に指定されていて、菅原道真が植えた1本の梅から増えたと伝えられているそうです。その臥竜梅は参道沿いにあります。

竜がうねっているような幹が特徴です竜がうねっているような幹が特徴です

梅はほとんどがまだつぼみでしたが、やさしい香りがただよっていて、暖かい日が続けばすぐにでもほころびそうなつぼみもありました。
梅はほとんどがまだつぼみでしたが、やさしい香りがただよっていて、暖かい日が続けばすぐにでもほころびそうなつぼみもありました。

道真公は学問の神様ということもあってか、親子連れを多く見かけました。お出かけにはしゃいでいる子どもたちを見ていたら、なんだか幸せな気持ちになりました。社殿の近くにはヒカンザクラが可憐な花を咲かせていました。
社殿の近くにはヒカンザクラが可憐な花を咲かせていました。
社殿の近くにはヒカンザクラが可憐な花を咲かせていました。

神社の成り立ちを伝える案内板によると、陰謀により左遷され大宰府で亡くなったとされている菅原道真ですが、その死は暗殺の危機から身を隠すために装ったもので、ひそかに大宰府を離れて余生を送ったとの説もあるとか。その地がここ藤川なのだそうです。

久留須梅へ

藤川天神に向かう途中に「久留須梅」という看板を見かけて気になっていたので、帰りに立ち寄りました。民家の近くにある小さな梅林で、白い花がちらほら咲いていました。紅梅の藤川天神の臥竜梅とは花の色こそ違いますが、風情はよく似ています。
民家の近くにある小さな梅林で、白い花がちらほら咲いていました。紅梅の藤川天神の臥竜梅とは花の色こそ違いますが、風情はよく似ています。
民家の近くにある小さな梅林で、白い花がちらほら咲いていました。紅梅の藤川天神の臥竜梅とは花の色こそ違いますが、風情はよく似ています。
民家の近くにある小さな梅林で、白い花がちらほら咲いていました。紅梅の藤川天神の臥竜梅とは花の色こそ違いますが、風情はよく似ています。

ここにも案内板がありました。大宰府からの刺客に追われた道真公は、一軒の農家を訪ねたそうです。気の毒に思ったその家のおばあさんは、道真公とは知らずにもてなしました。おかげで難を逃れた道真公は、お礼にとおばあさんに梅の実を授けました。おばあさんはその実を土に埋めて育て、それがいまの久留須梅につながっているそうです。この梅林を守ってきた久留須家には、梅の実は果肉だけを梅干しにして種は梅林に返すこと、梅の枝は切らぬこと、という家伝があるのだそうです。道真公ゆかりの梅を絶やさぬよう、代々大切にしてきたのですね。

メジロが遊びに来ていましたメジロが遊びに来ていました

道真公ゆかりの若宮神社へ

久留須梅を後にして車を走らせていると、山の斜面に「若宮神社」という立札を見かけました。歩いて近くまで行ってみましたが、神社らしきものは見当たらず、案内板だけが縁起を伝えていました。
久留須梅を後にして車を走らせていると、山の斜面に「若宮神社」という立札を見かけました。

道真公を訪ねて京からやってきた若君(一説には姫君)と母親。道真公はすでになく、この若君は山に小屋を作って暮らしたということですが、幼い頃に天然痘を患っていたため、人前に姿を見せることはめったになかったそうです。若宮神社は、そんな若君を祀っていたようです。今では大きなクスノキと、お社の礎石だったのでしょうか、石をいくつか集めた塚のようなものがあるばかりでした。

このクスノキは何年くらい生きてきたのでしょうこのクスノキは何年くらい生きてきたのでしょう

 

根元には春いち早く咲くオオイヌノフグリが根元には春いち早く咲くオオイヌノフグリが

藤川天神とその周辺にのこる道真公の足跡。そういえば、昨年訪ねた姶良市の寺師菅原綱天神社の臥竜梅も、道真公が貧しい老婆にもてなしをうけ、そのお礼にとまいた梅の実が由来と伝えられていました。大切に受け継がれ、今も花を咲かせる梅を眺めていると、人々が道真公の無念に思いをはせ、せめてその晩年は安らかなものであってほしい、そう願った気持ちが伝わってくるようです。おだやかな東風と梅の香りが心地いい、春の小さな旅でした。

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