もうすぐ2021年が終わろうとしています。みなさんにとってどのような年だったでしょうか?長引くコロナ禍の中で、多くの方々にとって、これまでとは違う生き方を模索した1年だったのかもしれません。そんな中、悩みながら絞りだすように書いてきた26本の記事の中から、3人がそれぞれの心に残る記事をご紹介し、改めて今年を振り返ってみたいと思います。
住吉のこの一年 穏やかな日常が戻る日を願って
鹿児島でも新型コロナの感染が拡大した今年は、気軽にどなたかにお会いするのが難しい時期もあり、なかなか「人ものがたり」を発信することができませんでした。そんななかでもお話をしてくださったお二人には感謝の気持ちでいっぱいです。ミツバチの働きぶりに魅せられて養蜂家をめざす上水流勇気さんと、知覧の武家屋敷で綿を育てて糸を紡ぎ布を織る岩崎泰依さん。「私はこれが好き!」と熱く語れるものがあるって素敵です。
外出する機会が減りましたので、ごくごく身近な話題をお伝えすることが増えました。なかでも家庭菜園のおはなしは、親ばかみたいな気恥ずかしさもありつつ度々書きました。家庭菜園を始めて20年ほどになりますが、野菜とそこにやってくる生き物たちにはたくさんのことを教わってきました。人間も自然の一員だといつも気づかせてくれるのは、小さな家庭菜園です。
ここでちょこっとおまけのおはなしです。冬支度の家庭菜園のおはなしでお伝えしたミニトマトとロングランのししとうは、なんとまだ健在です!ミニトマトは、まだ花を咲かせています。寒くなったとはいえ長続きしないので、何とかしのいでいるのかもしれません。季節外れの夏野菜のがんばりを、しっかり見届けたいと思います。
今年は、身近なところで野鳥を探す楽しみも見つけました。住宅地の庭先にもいろいろな野鳥がやってきますし、鳴き声に耳を澄ませば、小さな茂みや電線などそこここに野鳥がいて、散歩をするのが楽しくなりました。
秋には庭木に手作りの巣箱もかけました。今も入居を待っているのですが、これまでのところ内覧してくれたのはシジュウカラが1羽だけ、残念ながら人気物件とはいかないようです。そういえば最近散歩の途中で、庭木に巣箱をかけているお宅を3件ほど見つけました。どんな方がお住まいなのかはわかりませんが、お仲間を見つけたようでなんだかうれしくなりました。
なんてことのない日常を過ごせることが、どんなにありがたくて幸せなことだったかを、折に触れて感じた1年でした。できることなら、日々のささやかな喜びをいとおしむように暮らしたいと思います。
読者の皆様、今年もてのんにお付き合いくださいましてありがとうございました。来年が少しでも穏やかで明るい年になりますように、そして、みんなみんなが幸せでありますように。
岩元のこの一年 伝えていきたい戦争の記憶
てのんを始めた4年前、やっていきたい一つの事が、戦争の記憶を残していきたいという事でした。戦争体験者の高齢化が進み、体験を語れる人が少なくなっていく中で、少しでも多くの方の証言を聞いていきたいと思っていました。しかし、日常に追われ、コロナ禍も加わり、今年は、直接体験者の方にお会いして話を伺うという事が、なかなか思うようにはできませんでした。
その中でも、6月17日の鹿児島大空襲、8月15日の終戦記念日、太平洋戦争の始まった12月8日という節目には、てのんから戦争に関する記事を出したいという思いはありました。
今年、6月17日の鹿児島大空襲の日は、岡留記者が体験者の方に話を聞いた記事を出しました。私は、体験者の方に話を伺うことはできなかったのですが、88歳になる母の戦争体験をじっくり聞いて、以前まとめていた本『私が子供だった頃~戦争の記憶~』の中から抜粋して終戦の日と開戦の日にお伝えしました。
こつこつと戦争の証言を集めていきたい・・
あの時代を生きてきた全ての方々に、それぞれ戦争との関りがあります。
もちろん兵士として戦場に行き壮絶な体験をされた方もいます。一方で、母のように当時小学生だった人も、軍事教育や勤労奉仕、耐乏生活、空襲など戦争がなければ経験しなかった苦しく辛い事を経験しています。何も特別ではない薩摩川内市に住む一人の少女だった母の日常の体験ですが、戦時中の様子がいろいろとわかるとても大切な記録だと、改めて本を読み返して思いました。戦後80年近く経った今、戦時中の人それぞれの証言がどんなに貴重かと思います。
コロナ禍の今、子供たちは必ずマスクをして登校しています。給食を食べるときも周りの友達と会話もできず黙食するように言われています。運動会や学習発表会も簡素化したり中止になったりしているようです。例えば80年後、今の時代を生きてきた方たちが、小さい頃の体験を話されたら、今の時代を物語る貴重な証言になるのではと思います。
これからも、戦争体験を記録していきたいという思いで、こつこつとですが証言を紹介していきたいと思います。そして、お一人でも読者の方に戦争の悲惨さ、平和の大切さが届いたらいいなと思っています。
岡留のこの一年 くらしの中にある看取りが教えてくれたこと
シニアと呼ばれる世代になり、93歳の母と90歳の義母の介護に直面している私にとって、鹿児島で初めてのホームホスピス「もくれんの家」の取材はとても印象深いものでした。そこには、終末期といわれるお年寄りが、病院でも施設でもないふつうの民家で介護や看護のサポートを受けながら、地域の人たちと繋がり合いながら穏やかに暮らしていらっしゃる姿がありました。
長い闘病と入院生活の末、帰りたかった家に帰してあげることができずに亡くなった父や義父のことを思いました。看取りのかたちに、これが正解という答えはないのでしょうが、これまで精一杯生きてこられた方たちの尊厳が大切にされていることに心動かされ、看取りが暮らしの中にあることに温かいものを感じました。
取材で出会ったクミさんは、その3ヶ月後に亡くなられました。最期はご家族も泊まり込んで、一緒の時間を過ごされたそうです。クミさんにとってここでの暮らしが、いかに限りある大切なものだったかを思いました。書きあげるのにとても長い時間がかかりましたが、誰しも経験する大切な人との別れのありようを考えるきっかけになりました。
余命宣告や看取り、介護という心身ともに疲弊してしまうような困難に直面した時、人は心が乱れ、途端に心細くなるものです。それを共に支えてくれるもくれんの家のような存在があることが、どんなに有難く、励まされることか…。同世代の友人たちも、親の介護で多忙になってきました。
長い間、介護相談員をしてきて、分かったようなつもりになっていた私ですが、親の介護となると、うまくはいかないことばかりです。デイサービスやヘルパーを利用してほしくても、親の意向と一致せず、自己決定権の尊重が揺らぎます。物忘れが激しくなった母に「言ったでしょ。」を連発してしまうこともしばしば。もくれんの家のスタッフのみなさんが見せてくれた住人さんのペースに合わせて、とことん寄り添う姿勢が、時にせっかちになる私を揺り戻してくれます。
自分の未熟さや失敗も含めて、介護の現実をいつか本音で書いてみたいなぁと思っていますが、毎日のバタバタで、未だ叶っていません。認知症のお母さんを介護してきた息子さんの言葉が心に残っています。「親は老いていく姿を見せながら、私に最後の子育てをしてくれている気がする。」取材させていただいたみなさんは、私にいつも大切なことを教えてくださいます。大切な人との限りある時間を大切に、時には手抜きしながら、SOSの扉を開いて、自らの心を耕していけたらと思っています。
ひたむきに続ける姿に心打たれ…
鹿児島名物、かからん団子をつくり続ける和菓子職人、柏木のおじちゃんの取材も忘れられません。84歳になった今も、かからん葉やヨモギを自分で採りに行き、朝5時に起き、ひとりでお菓子をつくっています。手抜きなしのひたむきな仕事ぶりに心打たれ、長い間、たくさんの人たちに愛されてきた理由がわかる気がしました。宣伝もしないのに注文が絶えない柏木のおじちゃんのかからん団子は、素朴で優しく、どこか懐かしい香りがして、心まで温めてくれました。
久しぶりにお電話をしたら、「元気バリバリで、今日もお菓子をつくってるよ。」と、元気なおじちゃんの声。嬉しくなりました。信じた道をまっすぐに生きていくって美しいなぁと心から思わせてくれました。
おわりに…
この1年、自然災害やコロナ禍といった自分たちの力ではどうしようもないような困難に直面し、翻弄される生活が続きました。経済的にも、心理的にも、制約や我慢を強いられることも多かったことでしょう。私たち自身も試行錯誤する中で、日常の何気ないくらしの中でしあわせ探しをしてみたり、かつて聞き取った母親の戦争体験を改めて振り返ってみたりしながら、いくつかの小さな記事が生まれました。
少しだけ、ものの見方や時間の過ごし方を変えてみると気持ちが前を向いて、新しいことが始められるものですね。日々のくらしの足元に、いつ、どんな時代になっても変わらないしあわせが潜んでいると信じて、少しでもみなさんの明日の力になれたら嬉しいです。自分のくらし方や生き方を振り返ってみたくなった時、立ち寄っていただけるような場所になれたらと思います。今年も「てのん」を読んで下さって有難うございました。