今日は終戦の日。戦後74年がすぎ、当時のことを語って下さる方が年々少なくなるなか、以前てのんに体験を話して下さった鹿児島市の朝倉田鶴さんが、この6月に亡くなりました。98歳でした。
終戦の日は、くしくも月遅れ盆の日。あの時代を、自分の考えを持ってたくましく生き抜いた田鶴さんをしのんで、あらためてその体験談をご紹介したいと思います。
田鶴さんとの出会いは、てのんを始めて間もない2017年11月のこと。おばあちゃんの戦争の話を聞いてほしいというお孫さんの紹介でした。
お宅に伺った日、田鶴さんは弟さんをなくされたばかりで、その葬儀のため奄美に帰郷することになっていたのですが、約束していたからと、慌ただしいなか時間を作ってお話して下さいました。
人懐こくておおらかな語り口に、初めてお会いしたとは思えない親しさを感じながら、次から次にあふれだす記憶に聴き入り、あっという間に3時間近くを過ごしてしまいました。
まだまだ話し足りないご様子で、弟の戦地での体験も聴いてほしかったねえとしみじみおっしゃったのが心に残っています。
田鶴さんの訃報をきいて御葬儀にお邪魔すると、祭壇には、取材の折に撮影した写真が飾られていました。「おばあちゃんらしくていい笑顔だよね」と、親族みんなでこの写真に決めたそうです。
「取材の日は、久しぶりにふるさとの奄美に帰れるという日でしたし、ずっと伝えたかった戦時中の話もできて、きっと幸せだったんだと思います」とお孫さん。
実は田鶴さん、この奄美の旅から帰って間もなく病に倒れ、生死の境をさまよったそうですが、見事に復活。穏やかに暮らし、まだまだ長生きして若い頃を過ごした北京にもう一度行ってみたい、と話していたそうです。
「戦争はやったらいかん、あったらいかん。」田鶴さんの心からのことづては、お孫さんをはじめご家族へ、そしててのんへと託されました。
田鶴さんの長い長い人生の、ほんの少しをうかがったにすぎませんが、お預かりしたことづてを大切に伝えていきたいと思います。
朝倉田鶴さんのご冥福をお祈り申し上げます。