5月末に梅を収穫し、塩漬けにして、赤しそが育った7月初旬に赤しそに漬け、そして土用干しをして・・およそ2か月半かけて梅干しができました。今年の梅仕事もきちんと終わりました。
今年は実家の梅が豊作で、例年の2倍の25キロの梅を梅干しにすることになりました。
(母娘それぞれの梅仕事② 母は「梅干し」「梅エキス」作り・・をご覧ください)
梅に塩をまぶして漬け込む最初の作業まではお伝えしましたが、今回はその後の作業をお伝えします。
塩をまぶしてカメに漬け込み、重しをしてほこりが入らないようにビニールで覆います。


梅酢が上がってくる
すると2週間ほどすると酸味の強い汁が出てきます。「白梅酢」です。
この白梅酢で梅が全部浸かったら重しを軽くします。

白梅酢はおなかの薬代わり
この時に出た白梅酢は、少量すくって瓶に保存しておきます。
おなかの調子が悪いときに、小さじ1杯ほどの白梅酢をお湯で割って飲むと、すっと良くなるので、おなかの薬代わりにとっておくのです。

母が小さいころ赤痢がはやり、母も母の兄弟も罹ったそうです。
激しい腹痛と下痢の時、祖母が「これを飲みなさい」と白梅酢を度々飲ませたそうです。幸い兄弟全員悪化することなく治ったそうで、その経験もあり、白梅酢は必ず保存して、私の家にも送ってくれます。
毎年梅干しは赤しそ漬けにしますが、今年は梅の量が多かったので半分は赤しそに漬けずに白梅干にしました。
塩漬けにしてある梅を、1か月くらい経ったらざるにあげて、天日に干せば白梅干しの出来上がりです。
赤しそ漬け作り
続いてしそ漬けを作ります。
赤しそに漬ける事で、赤いきれいな色の梅干しになります。
母が足を怪我して作業ができなくなったので、長年手伝ってきた姉が、かわりに作業をしました。
赤しそは実家の庭に植えてあり、7月初旬に摘み取りました。軸を取り、葉の部分だけを使います。
葉はよく洗って、水気を切ります。

赤しその塩もみ
しその量の10パーセントの塩を準備し,まず1/3の量を葉にまぶして揉み込みます。
ボールに入りきれないくらいの赤しそが、揉み込むうちにひとかたまりになっていきます。
濃い紫のあく汁が出るので、これは捨てます。
絞った赤しそに、また塩をまぶして揉み込み、あく汁を捨てます。
これを三回繰り返します。
赤梅酢を作る
あくを出して絞った赤しそに、白梅酢を加えます。
梅を漬けているカメから玉杓子で白梅酢をすくって赤しそに馴染ませ、軽くほぐすと、きれいな赤色になります。
これが、言わば梅酢全体を染める原液になります。
漬け込み
下漬けしているカメの中の梅は、白梅酢に浸っている状態です。
そこに先ほどできた濃い赤色の梅酢を入れ、カメを揺すって馴染ませ、白梅酢全体が赤色に染まるようにします。
そして、梅の上に赤しそものせます。

そして軽く重しをして、梅が赤く染まるのを待ちます。
1か月ほどすると、梅が赤く染まってきました。

梅を干す(土用干し)
漬け込んでから1か月ほど経ったら天日干しをします。
いわゆる三日三晩の土用干しです。
立秋(8月7日ごろ)の前の18日間が夏の土用の時期。お天気も続き日差しも強くて殺菌効果も期待できることから、この時期梅を干します。三日三晩干すことで余分な水分を蒸発させ保存性を高める効果があります。

一粒一粒重ならないように干します。午前中から天日干しをはじめ、午後になったら梅をひっくり返します。こうして、梅に均一にお日様の光を当てます。
絞った赤しそも、広げて一緒に干します。
何百個もある梅を、一個一個手作業でざるに並べ、また一個一個丁寧にひっくり返し、とても手間のかかる作業だと思います。
また、カメに残ったり、梅をざるに上げた時に梅から滴り落ちた赤梅酢は、梅干しと同じように日光消毒します。

赤梅酢は瓶に入れて保存します。
そしてミョウガやショウガを漬けるのに使います。
この梅酢は昔から調味料として使われ、塩とともに味付けすることを「塩梅(あんばい)」と言いました。この事から「塩梅がよい」という言葉が使われるようになったと言われています。
そして梅干しが出来上がりました。
実家の梅の木でとれた梅を収穫し、赤しそも畑に植えていたものです。
塩以外は完全自家製の梅干しです。
各御家庭や地域によって作り方は少し違いがあると思いますが、実家で作る梅干しは手前味噌ではありませんが、手前梅干しで美味しいと思います。
福岡の家にも、鹿児島から先日届きました。
毎日のお弁当に必ず一個ずつ入れたら、一年経つとなくなります。
毎年手作りの梅干しを送ってもらってありがたいと思います。
改めて梅干しの作り方の流れを確認しました。
- 6月上旬~下旬・・塩漬け(1か月ほど塩漬けする)
- 6月下旬~7月下旬・・赤しそ漬け(1か月ほど赤しそに漬ける)
- 7月下旬~8月・・土用干し

この梅干し、いつ頃から作られているのでしょうか?
日本文化いろは事典(iroha-japan.net)によると、梅干しが日本で作られるようになったのは平安時代と言われ、その頃は上流階級の人々が薬として食していたそうです。その後も高級な食品だったので一般庶民は食べられなかったのですが、江戸時代になって梅の栽培が盛んにおこなわれるようになり、庶民にも普及したそうです。
長い時間をかけて、その時代、時代の人たちが工夫を加え、受け継がれ、梅干し作りが定着していったんですね。
