10か月ぶりに我が家へ・・
先日お伝えした朝倉市山田の産直販売の店「三連水車の里 あさくら」のほど近く、昨年7月5日の九州北部豪雨で被害が大きかった山田交差点のすぐ近くにあるお宅です。
ご家族の方が屋根にペンキを塗る作業をしていらっしゃいました。

「実は昨日、10か月ぶりに我が家に帰って来たばかりなんですよ。
家が被害を受け、住めない状況になったもんですから、今まで県営住宅に仮住まいしていたんです」
そう語る手嶋博美さん(66歳)。
平成29年7月5日、手嶋さんご家族は壮絶な体験をされていました。
「家の近くに通堂川という小さな川が流れているでしょ。
普段は水も少ししか流れていなくて、私も小さい時からここに住んでいるけど、氾濫した事なんて一度もなかったんですよ。
だから、今度の雨でもまさか氾濫するなんて思ってもいなかったんですよ。」
しかし、長時間続く豪雨で、川が氾濫。
しかも上流にある農業用のため池が決壊し、一気に水かさが増したのです。
家から避難する暇はありませんでした。
家には、94歳になる母親と奥さんもいて、二階に避難しましたが、奥さんが持ってくるのを忘れていた母親の薬を一階に取りに行こうとしたら、すでに床上まで水が来ていて、畳がぷかぷか浮いていたそうです。
そして、その頃、一瞬にして隣の家が濁流に流されていきました。
その頃の様子を撮った山田交差点の写真です。
民家が濁流にのみこまれているのがわかります。
手嶋さん達は、自分の家も流されるんじゃないかと恐怖と緊張の時を過ごします。そして、2階から屋外に避難することを決意。
このはしごを、二階のベランダと、坂になった道路に渡し、祖母と奥さんを慎重に渡らせました。
はしごの下は、濁流が勢いよく流れています。
上り坂になった道路も、すでにひざ下ほどの濁流が来ていました。
少しでも油断したら、濁流にのみこまれる決死の避難でした。
「あの時は生きた心地がしませんでしたよ。本当に命が助かって良かったです。」
手嶋さんの隣の家に住む二人の方が逃げ遅れて犠牲となりました。
また、近所の一人暮らしの女性は、避難の途中で濁流に流され犠牲となり、結局地区の3人の方が亡くなりました。
手嶋さんのご自宅は、大変な被害を受けましたが、濁流に流されずに持ちこたえました。
災害直後の手嶋さんのご自宅です。
大きな流木が、自宅の玄関の前に横たわり、おびただしい量の流木と土砂が堆積しています。
そして、自宅の一階部分もこんな状況でした。
昨日まで生活していた部屋は、家具も電化製品も日用品もすべて大量の土砂に埋まってしまっていました。
「この大量の土砂をどうするか途方に暮れていましたが、ボランティアの方たちが15~16人来て下さって、連日泥出しをしてくださったんですね。本当に助かりました。」
そして、8月ごろまでには、なんとか土砂や流木の撤去を終えることができたそうです。
災害後、県営住宅に仮住まいしていた手嶋さん家族ですが、今後の住まいをどうするか悩んだそうです。
「家に戻って、また、今回のような雨が降ったら恐ろしいし、県営住宅の方が安全だと思ったりもしたんですよ。しかし、地区の方たちが『協力するから帰っておいで』と言ってくれたんですね。嬉しかったですよ。やはり地域のつながりは大事だし、長年住み慣れた場所は落ち着きますもんね。」
そこで、手嶋さんは家に戻ることを決意。
屋根と骨組みが残った家をリフォームすることにしました。
火災保険で出た補償金と融資をもとにリフォーム工事を開始しました。
そして工事が終わり、4月中旬にまた我が家に戻ってきました。
私が伺ったのは、県営住宅から10か月ぶりに戻って来た翌日で、荷物の片付けなど慌ただしくしていらっしゃいました。
手嶋さん達が住む地区で、家が被災し他の場所で暮らしている住民の中で、また戻って来たのは手嶋さん家族が初めてでした。
「不安もありますよ。まもなく梅雨の時期を迎えますけど、通堂川はまだ手付かずのままです。せめて護岸が低いところだけでも土嚢を積んでもらえたらいいんですが・・」
朝倉市などは、昨年、激甚災害の指定を受けました。
指定されると、国は災害復旧事業の補助金を上積みして、被災地の早期復旧を支援することになります。
しかし、被災場所も多岐にわたるため、車を走らせてみても、まだ復旧作業が進んでいないところをあちこちで見かけました。
「妻も北部豪雨の経験が少しトラウマになっている所があって、少し雨が降っても『お父さん、雨よ。大丈夫だろうか?』と不安がります。これからは雨の降り方に注意して、早めに避難することを心がけたいです。」
ところで、手嶋さん、災害前は自宅でマッサージ業を営んでいました。
しかし、災害後は県営住宅にいたこともあり、仕事はしていませんでした。
その間も、なじみのお客からは『マッサージをしてもらえないか?』と電話があったりしたそうですが、まだ、気持ちが落ち着きませんでした。
そして、家に戻ってきたので、そろそろ自宅でマッサージ業を再開しようと考えているとお話しされていましたが、取材して20日程経った現在、お客が少しずつ来店されているそうです。
手嶋さんのお宅の近くに、昔から祀られているお地蔵さんがあります。
「母は、毎日のようにお地蔵さんのお世話をしていましたので、お地蔵さんが私たちを守ってくれたのかもしれません。
また、ここで頑張って行きます。」
お地蔵さんに見守られながら、手嶋さん家族は、新たな一歩を歩み始めました。
ところで、今回の九州北部豪雨で犠牲になられた方たちは、どういう状況で遭難されたのでしょか?
(内閣府 平成29年7月九州北部豪雨災害を踏まえた避難に関する検討会の被害状況をまとめた資料より)
(年代別犠牲者数)
65歳以上・・28人 ※約7割の犠牲者が高齢者
65歳未満・・13人
(原因別犠牲者数)
洪水 ・・18人 ※洪水の率も高い
土砂 ・・23人
(遭難場所別犠牲者数)
屋外 ・・9人
屋内・・・・・32人
※「洪水」が比較的多いのに「屋内」が多いことが特徴
「屋内」犠牲者の家屋はすべて流失している
(避難行動)
避難行動した・・5人
避難行動しなかった・・36人
以上のデータを見ると、高齢者の方が、避難せずに自宅で遭難された割合が高いことがわかります。
今回の災害が平日の昼間に起きており、若い世代が仕事や学校に行っている時、時間帯で、自宅に残っていたり、一人暮らしのお年寄りが、避難せずに災害にあってしまったりという実態が浮かび上がってきます。
私達てのんのスタッフは、25年前の「平成5年鹿児島8・6水害」を経験しています。地元テレビ局MBCの記者として、各地の災害現場を取材、そこから学んだ教訓などをもとに災害に強いまちづくりを考えました。
そして、河川の改修など安全に暮らすための基盤整備ももちろん大事ですが、まずは、一人一人が「早めの避難」を心がける事。「自分たちの命は自分たちで守る」という自主防災の意識を持つことが、なにより大事だという事を学びました。
行政などが作る防災マップをもとに、普段から避難場所や避難経路、危険箇所の
確認などを行う。地域に住む、避難時に支援が必要な方を把握する。また、住民が参加しての避難訓練を行うなど、日ごろから一人一人の防災意識を高めておくことが大切だという事を改めて感じています。