戦争の体験を持つ方々にお話をうかがう「むかしあった戦争のお話」。

今回は、今から71年前の3月、中国東北部(満州)からの引揚げを体験した、石川常子さんのお話です。

石川常子さん(88)
石川常子さん(88)

石川常子さん(88)さんは、昭和5年(1930年)、満州の奉天(現在の中国・瀋陽)で生まれました。5人姉妹の4番目。父親は、満鉄(南満州鉄道株式会社)に勤務していました。

「満鉄の社宅に住んでました。生活は、豊かでしたよ。毎年お正月には、写真館で家族写真を撮ってね。革靴を買ってもらって。姉の学校では、東京まで3週間かけて修学旅行に出かけてましたよ。いい時代でしたよね。」
生活は、豊かでしたよ。毎年お正月には、写真館で家族写真を撮ってね。
「小学校では、冬になるとスケートリンクを作ってくれてね、私はスケートが大好きでね。スケート靴の刃を研いでは学校に行って、滑ってましたよ。オリンピックでスケートを見てると、楽しかったことを思い出して、今でも滑りたくなります。」

常子さんの幸せな暮らしは、戦争が始まってからも、そう大きくは変わらなかったそうです。
「灯火管制はありましたけど、空襲はありませんでした。食べ物もあったんですよ。戦争を身近に感じることはなかったんですよ。」

ところが、終戦を迎えると事態は一変します。常子さんが15歳の時でした。

「戦争が終わって2か月くらいしてからでした。ロシア軍が来るっていうことでね。女子供は連れて行かれるから、髪を短く刈りあげて、男の恰好をするようにとのふれがまわって。私は父の満鉄の制服を着ましたよ。もしロシアの兵隊が家に来たら、これを飲んで自殺しなさいと、青酸カリを渡されたんです。生きた気がしませんでした。」

常子さんの母親は、娘たちを集め、その周りに畳を立てて隠しました。
「うちにもバタバターッとロシア兵がやってきました。10人位いたと思いますけど、母が、言葉の通じないロシア兵に向かって、青酸カリを飲む仕草をしながら『来るなー、来るなー。』と叫んで、必死で守ってくれました。おかげで、ロシア兵は出て行ったんです。もう、ほんとに怖かったですよ。」

満鉄の残務整理などで忙しい父親とともに、その後も2年ほど、満州で暮らした常子さん。昭和22年(1947年)3月に、日本に引き上げることになりました。
「日本の船が来る青島の港まで、最初は汽車で行こうとしたんですけど、中国の人たちは、日本人のためには汽車を出さんっていうんです。もう、歩いて行くしかないっていうことで、満鉄の人たち100人位集まって、一緒にまとまってね。お父さんたちが周りを囲んで、その内側に女性や子供を守ってね。」

常子さんの母親は、3歳の妹をおぶって、病み上がりだった姉を乗せた一輪車をひき、常子さんは、家族の荷物を詰めこんだ、帯芯で作った大きなリュックを背負って歩きました。
「こんな重い物をって思ったんですけど、火事場の馬鹿力っていうんですかね。そのときになると、すごい力が出るんです。21日間、ひとりで背負って歩き通しましたよ。」

野宿をしながら、食うや食わずの日々。途中、荷物を目当てに中国人が襲ってきたり、徒党を組んだロシア人が刃物を振り回しながら襲ってきたりしたそうです。
「目の前でひとり、子どもがさらわれてね。おトイレに行きたいって、列からちょっと離れたとたんに連れて行かれて。もう、怖かったですよ。体の弱い方は、途中で亡くなってしまってね。一輪車に乗せて、港まで運んでましたよね。」

奉天から青島まで、1000㎞をこえる道のりでした。

青島の港に着いた時にはほっとして、荷物を下ろしたきり、もう担ぐことはできなかったという常子さん。2日ほどして、日本の船がやってきました。
「船を見たときには、涙が出ましたよ。これで日本に帰れると思ってね。」

常子さんにとって、この経験は忘れられないものになりました。
「もうね、根性がつきましたよ。15歳くらいで、こんな大変な思いしましたからね。」

満州には終戦時、民間人、軍人合わせておよそ200万人の日本人がいて、このうち、およそ24万5400人が、ソ連の侵攻後に亡くなったといわれています。日本に帰ることができずに、残留孤児や残留婦人となった方々もいます。

引揚げてきた方々の数だけあったはずの体験談。それを一つでも多く残していけたらと思います。

参考文献:加藤陽子著 それでも、日本人は「戦争」を選んだ

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投稿者: てのん記者