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「歴史」

日置市日吉町 赤山靭負のお墓を地元の観光ガイドさんと訪ねました


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大河ドラマ「西郷どん」で、西郷さんの良き理解者として描かれていた赤山靭負。次期藩主に斉彬を望む家臣たちと久光を推す家臣たちとが対立した、いわゆる「お由羅騒動」で、切腹となってしまいました。

そのお墓は、日置市日吉町にあります。地元、日置市吉利地区の公民館長で、日吉町ゆかりの偉人について調べ、ガイドをしている下野衞さんに、赤山靭負ゆかりの地を案内していただきました。

下野衞さん(72)下野衞さん(72)

赤山靭負は、文政6年(1823年)正月17日、日置島津家12代当主島津久風の次男として生まれました。日置島津家は戦国時代に活躍し「島津4兄弟」とも呼ばれる一人、歳久を祖とし、本家、一門家(いちもんけ)に次ぐ、四家(よんけ)の筆頭という家柄で、代々家老などの要職についていました。父・久風も主席家老でした。

日置島津家の菩提寺、大乗寺の跡には、その久風のお墓があります。

大乗寺跡に通じる石段大乗寺跡に通じる石段
ひっそりとしたたたずまいひっそりとしたたたずまい
赤山靭負の父・島津久風の墓赤山靭負の父・島津久風の墓

「ここには、日置島津家の分家、赤山家の初代・久辰が寄進した竜の手水鉢があるんですよ。立派なものですよね。」

赤山家の初代久辰寄進の手水鉢赤山家の初代久辰寄進の手水鉢

赤山靭負は、日置島津家の分家である赤山家を継ぎ、天保4年(1833)に元服、藩主斉興公から直接、冠をかぶせられ、靭負の名を賜りました。記録によると、天保12年(1841)に小納戸見習行奥小姓役となり、江戸滞在中の天保15年(1844)には供目付を兼務、弘化3年(1846)には槍奉行となり、順調に出世していたようです。しかし、お由羅騒動で、斉彬派に加担したとして切腹を命じられ、嘉永3年(1850年)3月、27歳の若さで亡くなりました。

西郷さんの父・吉兵衛は、赤山家の用頼み(お世話係り)をしていたので、赤山靭負と西郷さんも交流があったのでしょう。亡くなるときに身に着けていた血染めの肌着を、西郷さんにと託したそうです。

「辞世の句は残ってないんですが、切腹の直前、吉兵衛に『斉彬公が一日も早く77万石の家督を継がれることを死んで祈るであろう。貴殿もそのことを神仏に祈ってくれよ。』と言い残したといわれているそうです。」と下野さん。

赤山靭負の墓へ続く道赤山靭負の墓へ続く道
さらに続く道の奥にさらに続く道の奥に
うっそうとした墓所うっそうとした墓所
赤山靭負の墓赤山靭負の墓

近くには、日置島津家2代・忠隣のお墓がある桂山寺跡も
登って行った先には島津忠隣のお墓が

登って行った先には島津忠隣のお墓が登って行った先には島津忠隣のお墓が

吉兵衛は息子の西郷さんに、遺品の肌着とともに、この遺言を話して聞かせたことでしょう。赤山靭負の思いが、西郷さんを突き動かす力のひとつになったのかもしれません。

これまで、あまり注目されることのなかった赤山靭負ですが、地元では没後150年の際、赤山靭負の墓前で、子孫の方を迎えての供養が行われたそうです。
「地元の歴史を知るというのは、大事なことですよね。今回の大河ドラマで赤山靭負が注目されて、お墓やゆかりの場所にたくさんの人が訪ねてくれるといいんですけどね。」と話す下野さん。
日置島津家3代・常久のお墓がある、光禅寺跡にも案内して下さいました。

光禅寺跡光禅寺跡

この光禅寺跡には、地元の日置郷から西南戦争に参加して亡くなった、38人が祀られている招魂塚があります。

招魂塚招魂塚
側面には亡くなった方の名前が刻まれています側面には亡くなった方の名前が刻まれています

「私の母方のひいじいさん、ひいひいじいさんかな、この日置郷ではないんですけど、伊集院から西南戦争に行ってるんです。田原坂の戦いで後ろからばさーっと斬られて、倒れとったところを助けられたそうなんです。そん時死んでたら、私は今いないんですよね。」

赤山靭負は、斉彬公の治世を願いながら亡くなり、その死を胸に刻んだ西郷さんたちの活躍で新しい時代が始まりました。でもその西郷さんも、多くの若者たちとともに西南戦争で亡くなってしまう…。誰もが、より良い今をつくろうと、自分が信じた道を生き、その積み重ねで今がある、しみじみとそう思いました。

アクセス

赤山靭負の墓・桂山寺跡
日置市日吉町日置城ノ下 県道37号線沿い城ノ下バス停近くです
現在駐車場を整備中で、お墓への道も舗装される予定

大乗寺跡
日置市日吉町日置5680
駐車場はありません
すぐ近くには、西郷隆盛の曾孫西郷隆文さんと弟・等さんの日置南洲窯があります。

光禅寺跡
日置市日吉町日置352
駐車場はありません

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