11月下旬、東京に住む親せきのおじい様の突然の訃報が届きました。
山形武久さん。94歳でした。
人生の最後は、本当に一人ひとり違います。そして、そこから学ぶことも多いものです。
大好きだった武久おじい様の人生のお別れの仕方のお話をお伝えしたいと思います。
息子さんご夫婦から、その知らせが届いたのが、お亡くなりになってから数日後のことでした。葬儀を滞りなく済ませたことが記され、その写真が送られてきました。

6年ほど前に自宅を処分して、都内の老人ホームでお暮しだったおじい様はホームで吐血して入院、翌日あっけなく亡くなられたそうです。上部消化管出血でした。
エンディングノートが残されていました。
そこには、葬儀はホーム葬にしてほしいこと、祭壇の飾りけ、お花、音楽全てご自分の意向が書かれていて、全てそれにのっとってとり行なわれたそうです。
葬儀社の担当者の名刺まで入っていました。


通夜、葬儀が行われた3日間。
ホームの部屋には、毎日のようにこれまでお付き合いのあった方々がお別れに見え最後は車いすの方もエントランスのお見送りに集合して下さったそうです。
人生最後の数年間がとても温かいものであったことが感じ取れ、家族は心温かい気持ちになったそうです。

長年商社勤めだったおじい様は、海外勤務も長く、色々な国々の珍しい食べ物を作っては、みんなに振舞うのが大好きでした。
老人ホーム暮らしで一つだけ不満だったのが、自分の部屋にキッチンが無いこと。
息子の家を訪ねる時はエプロン持参。キッチンに立ち、腕を奮いました。


6年前に心臓バイパスの大手術も経験。5年前には奥様に先立たれ、寂しい日もあったことでしょう。体は時々悲鳴を上げ、綱渡りのような毎日だったと言います。
でも、今年に入ってからは特に精力的でした。
大好きなクラッシックの新年のコンサート、スカイツリー見学、川口湖一泊旅行などホームの行事にも積極的に参加。家族が心配になるほど、出回っていたそうです。長らく会っていない人との再会にも積極的でした。家族の協力で、実の妹のように親しかった従妹のおば様との再会を果たしたのも今年でした。

そして、亡くなる一か月ほど前。
89歳になる母の元へも丁寧なお手紙が届きました。

「人生を謳歌されているご様子、どうかペースを落としてご奮闘下さい」と5つ年下の母に優しくアドバイス。
「何とか東京オリンピックまでは持たせたい…。
来年1月4日のニューイヤーの生演奏とダンスのコンサートに出掛けるのが楽しみです」と書かれていて、
優雅なワルツに合わせてスカートの流れを眺めたり、
懐かしい「青きドナウの流れ」を聞きながら、
ひそかに手拍子、足拍子を取りたいと思っています。
と結ばれていました。

家族は…
今にして思うと、お別れのご挨拶をみなさんにしていたのかなぁと思えてきます。
急なことで親孝行が出来ていたのか、自分を責め、後悔もありましたが、今はお迎えが来たのだと納得しています。父の前向きさは見習いたいです。
エンディングノート最後には、お別れの言葉がありました。ご縁があって親族となった家々の皆様へ向けられた言葉でした。

これまでに与えて下さった数々の愛情、厚情、配慮、献身等限りなく深い
お気持ちに対し、心からお礼をお伝えしたいと思います。
皆さん、本当に、本当に有難う。
全ての方が今後とも健康で、良き人生を全うされる事を心から祈っています。
さようなら
いつ準備されていたのでしょう。
新年のコンサート、そして東京オリンピックまで生きる楽しみを描きながら、一方でいつ来るか分からない、けれど必ずやって来る人生最後の時への準備をキチンと済ませておられたのですね。深い感銘を受け、メッセージを受け取りました。
終活という言葉が言われるようになり、自分がどう生きたいか、どのような死を迎えたいのか、自分で考え、その準備をする人たちが増えています。
今回「父の生き方が皆さんの何かのお役に立つのなら」と、山形家の皆さんが、記事の掲載をご了解して下さいました。
遺品整理で貴重な写真が見つかったそうです。
昭和17年10月、祖父で東北帝国大学医科大学の初代学長だった山形仲藝氏の銅像前で撮られた一枚でした。

時は、太平洋戦争の真っ只中。祖父の銅像を軍への供出する直前に撮られた思い出の記念写真で、大切に仕舞われていました。
改めて、激動の時代を生きてこられたのだと実感します。
それでも佇まいは、とことん朗らか。
最後まで慶應ボーイらしく、お洒落でカッコ良くという美学を貫かれていました。
家族は「親父が偉かったところは何でも自分ができることは自分でやったこと。
料理も家計も全て。ホームに入ってからも、自立通院を続けていました。」
まわりの人たちに色々な教えを残し、最後まで「自分らしさ」を貫かれた94年の人生。心よりご冥福をお祈りすると共に、これからも人生の先輩方の生きる姿を通して学ばせていただきたいと思いました。