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来年は、明治維新150年。大河ドラマ「せごどん」も始まり、鹿児島の歴史が注目されそうです。
鹿児島には多くの史跡がありますが、福昌寺跡もそのひとつ。
歴史好きにはたまらない、知る人ぞ知る史跡です。
福昌寺跡は、鹿児島市の緑豊かな玉龍山の麓にあります。
かつては大伽藍を備えた南九州屈指のお寺で最盛期には1500人もの僧侶が修行をしていたそうです。
この辺りが薩摩の信仰の中心地だったんですね。

残念なことに、明治2年の廃仏毀釈で寺は取り壊され、今は島津家歴代の当主の墓所のみが残っていますが、歩いてみると、薩摩を代表するお殿様やゆかりの方々が眠っておられることに驚かされます。

鳥居の向こうにひときわ大きく見えてくるのが…島津久光公のお墓。

薩摩藩最後の藩主・忠義公の父として、大きな力もっていたことを伺わせます。
北側の少し奥まったところには、島津斉彬公のお墓がありました。
あの西郷さんや大久保さんなど明治維新で活躍する薩摩の優秀な人材を育て、当時、日本で最先端の近代化事業を推し進めた薩摩の名君です。
それにしてもとても広く静かで荘厳な雰囲気…



かつてフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した時には、この場所を度々訪れ、当時の第15世忍室和尚と親交を深めたことでも知られています。
裏山を登っていくとキリシタン墓もあります。

明治政府のキリシタン弾圧で長崎の浦上キリシタンが各藩に送られました。
鹿児島にも375人が送られ、収容されたのが、この福昌寺跡でした。

キリシタンたちは各藩で過酷な扱いを受けますが、ザビエルゆかりの地であるここでは最も寛大な対応を受けたと言われています。
数々の歴史のドラマを今に伝える福昌寺跡。

若いころの西郷さんや大久保さんもここで参禅修行し、当時の円了無参和尚に強く影響を受けたそうです。

この隠れた歴史スポットを見つめ直し、子どもたちと一緒に歴史を学ぶ機会を持ちたいと去年、「福昌寺跡を守り、歴史を子どもたちに語り継ぐ会」が発足。
そのメンバーのひとりとして、去年この場所で歴史のお話し会を開きました。
この時取り上げたのが、この地に眠る「調所笑左衛門広郷さん」でした。
お話し会では、調所さんの一生を描いた紙芝居を作って子どもたちに披露しました。
調所さんは、借金地獄に陥っていた薩摩の絶体絶命のピンチを救った救世主だったのです。
その調所笑左門広郷さんってどんな人だったのか。次回、またお伝えしますね!
アクセス
■ 福昌寺跡
※ 駐車場はありませんので、公共交通機関か近隣の駐車場をご利用ください。
