障がい児教育の神様と言われていた大坪敏夫さん94歳
大坪さんは、2年前に長年連れ添った奥様を亡くしました。障がいを持った子どもたちをいつも快く家に招き入れ、時には泊りこみで面倒を見てくれた奥様でした。
今、大坪さんは鹿児島市内の老人ホームで暮らしています。
独りになった時、息子さん家族がいっしょに暮らそうと言ってくれましたが、ここでの生活を選びました。
結構、忙しくしてるんですよ。
ここにいると、皆さまのお世話になるばかりでしょ。ちっとばっかい、自分もお役に立ちたくなってくるんですよね
大坪さんは、この老人ホームの歌を作りました。
自分で歌詞を作って、曲はみんなが良く知っている鉄道唱歌のメロディに合わせて歌うと楽しいだろうなぁと思ったのです。
戦後間もなく、新制中学校の校歌の歌詞を作ったあの頃が蘇ってきました。
歌詞を手書きして、コピーしてもらい、懐かしい昔の歌も加えて、それに絵も添えました。
今ではこれを歌うのが、このホームのお年寄りの楽しみになり、歌の時間の定番となりました。
歌は良いですよね。みんな仲良くなる。そして生き生き蘇る。
でもね、隣の部屋の元海軍中尉の100歳のおじいさんは、この歌じゃダメなんですよね。
よーし!と思って、軍歌を書いた紙を渡して一緒に歌った。そしたら生き生きと蘇る。
やっぱりここでも、その人その人、ひとりひとり違うんですよね。
足腰が弱くなり外歩きには杖が手放せなくなりましたが、月に3回は詩吟教室にも通っています。




うっかた(家内)と、一緒に習ってたの。一緒に大会にあっちこっち行ってね。
漢詩の世界が好きでね、詩吟を始めて、35年になりますけど、まだまだ。
毎日、午前、午後30分ずつの自主練習は欠かしません。吟じる声は、こちがら驚くほど力強く健在です。


思い出すことと言うと… やっぱり親父がいつも言っていたあの言葉ですかね。
父は16歳で台湾に渡って66歳まで、50年間台湾で懸命に働いて、不動産を築いてきました。
戦後、それを全部おいて引き揚げることになったんです。
ある時、「お父さん、あん時の財産はちっとばっかいあったらしかった(もったいなかった)ですね」と言ったんです。
そうしたら、「なんが、人間は働くために生まれてきたたっで、ぬっかところ(暖かい所)で働かせてもろうて有難かこっじゃった」そう答えたんですよね。
台湾を離れるその日まで「後に来る人が食べるから」と菜園の草を取り、肥料を与えていたと聞きました。
「人間は生きてる限り働かんな」という父の教えは、今も心にあります。

毎朝、5時に起きて、仏様にお水とお茶をあげ、手を合わせる。
神棚で15分の祝詞、仏前で15分の経典をあげて、大坪さんの一日が始まります。
8歳の時にね、親父が『お前は神さまの係をしなさい。神様を拝んだら、ふが良かよ(運が良くなるよ)』って言われてね。それからずーっと、不思議と神さまと縁があって。
台北の師範学校にいた時も神棚の係で、毎日、お水と榊を上げていました。
軍隊にいた時は、寝起きするところが村社の神殿で、ここでも神棚の係でした。
B29の爆撃を受けながらも、小隊全員無事で帰れたのも天の助けだったのかもしれません。
神さまと仲良くなる機会に恵まれていたんですね。
大坪さんの94年の長い長い人生…
出会いと共に、大切な人たちとの別れもありました。
両親との別れ、5人いた兄姉妹も皆、亡くなりました。
そして妻のトシ子さんとの別れ…
寂しさは無いかと尋ねると…

みんなここにおりますから。
いたっくっでなぁ(行ってくるからね)きょうは、こげなこっ(こんなこと)があったよ~って、いつも報告してます。だから、寂しくありません。
もちっとしたら(もう少ししたら)おいも逝っでね~(私も逝くからね)これも天命じゃっでね、って語りかけています。
うっかた(家内)も亡くなる前に 今の心境を「天悠々(ゆうゆう)空蒼々(そうそう)」って書いてたですよ。なんも心配いらんからねってことですよね。
世の中に未練を残さないで、悔いなく死んでいっている。
何の執着もない。だからふが良いんですよ。
天に任せておけば、必ずよかふ(良いほう)にしてくれるって、そう思ってるんです。
これからも毎日、悔いなく精一杯生きる。これだけ。
このあとも天にお任せですよね。
この日、大坪さんの元に、大坪さんの郷里の中学校の校長先生から便りが届いていました。
郷里の歴史や言い伝えを調べてね、その資料を学校に送ったの。
子どもたちに自分の住んでる地域の事について、少しでも知ってほしくてね。
今は毎日、テレビでも見て、寝ておればいいのにね。
人は、愛されて、認められて、役に立つことが生きる力になりますよね。
一つでもお役に立てることがあったら、嬉しいんです。
だから「生きてる限り、働かんなら」と思って、今も自分を忙しくしてるんです。
おわりに
大坪さんは、障がい児教育を離れた後も、教育相談員や地元の幼稚園の園長として、83歳まで働いてこられました。そして今も忙しそうです。
天から与えられた運命に抗わず、いつも目の前にいる人たちに心を尽くしてきた大坪さんの生き方を見ていて、ほんとうに惚れ惚れしました。
「地位や名誉にあまりとらわれない人生でしたよ。物にもあまり執着がなくて」
とおっしゃりながら、その表情はとても幸せそうです。
誰が見ていようが、見ていまいが、自分のするべきことをこつこつ続け、
命の限りをしっかりと生きる大坪さんを見ていると、
老いを生きるということが、いっそう尊く美しく感じられてきました。
幸せに生ききる達人として、これからもお会いしたい…
そう思わせてくれた素敵な方でした。