先日、あるご老人のところにお話を聞きに行った時のことです。
「私の友達で、私よりも大変な体験をした方がいますよ。」
聴けば、南方での戦線に参加し、蛇や蛙を食べて飢えをしのぎながら帰還したという壮絶な体験をお持ちの方のようでした。
「私が聞いてみましょうか?」
ご老人が、その方に電話をかけて下さいました。
「〇〇さんな!戦争ん時、大変な難儀をしゃったよな~
今ここに、そん話を聴きたかって、若い人がきちょやっと。
今度、そん話を聴かしてもろはならんどかい。」
親しい友人ならではの鹿児島言葉で、私たちとの橋渡しをして下さいました。
沈黙がありました。
「あ~そうな。話したくなか。そうやろな~。辛かったでな~。」
「そうな。そうやろな~。」
友人の思いを受け止める優しい声でした。
受話器の向こうの方のお名前もお年も分かりません。おそらく90歳前後のご老人でしょう。
あの戦争を今も「忘れたい」「忘れられない」「語れない」「語りたくない」という辛い思いを抱えながら70年以上も生きてこられた方がここにいる。
この現実の重みを突き付けられました。
戦争とはそんな重い十字架を人に背負わせることなのかもしれません。
戦後70年あまりが経ち、私たちはあの戦争のことを知る機会を得てきました。
でも知っているのは、見ているのは、まだほんの一部なのかもしれません。
一人ひとりの沈黙の声にも気づきながら
謙虚にお一人おひとりと対話していこうと思いました。