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「生き方」

バイクで日本一周!写真で綴る永田嘉人さん1万5000キロの旅


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「単純に言えば、好奇心。日本人だったら日本をいっぺん全部見てみたい。
そんな気持ちからこの旅を始めました。」

永田嘉人さん34歳。
先月28日、3ヶ月あまりの日本一周バイク旅から鹿児島に帰ってきました。

バイク日本一周の旅から帰ってきた永田嘉人さん!バイク日本一周の旅から帰ってきた永田嘉人さん!

学生の頃から抱いていた漠然とした夢が現実のものとなったのが、3年前。
アルバイトをして貯めたお金で、旅の相棒となるバイクを購入した時でした。

「今しかない。35歳までにはやろう。」決心が固まりました。

このバイクで日本中を走り回りました(日本最北端・宗谷岬にて)このバイクで日本中を走り回りました
(日本最北端・宗谷岬にて)

それぞれの土地に流れる空気を感じたいと、あえて観光地やグルメ中心の旅は避けました。(経費削減もあって!)高速道路も使わず、宿も決めない。
地図だけを頼りに行く気まま旅でした。

こんなところを宿にしたこともこんなところを宿にしたことも
鉄道車両を利用した簡易宿泊所(北海道紋別町・道の駅おこっぺ)鉄道車両を利用した簡易宿泊所
(北海道紋別町・道の駅おこっぺ)

最初に「単純な好奇心から」と話してくれた永田さんでしたが、しばらくすると、ここに至るまでの思いを語ってくれました。

永田嘉人さん(34)永田嘉人さん(34)

永田さんは、工業系の高校を卒業後、5年間大阪の建設会社で働いていました。
このままの暮らしが続くのかなぁと思っていた頃、父親が他界。56歳でした。

「ラジコンとかプラモデルとか趣味が多い人で、仕事を辞めたら思う存分楽しむぞと言っていました。それを出来ないまま亡くなった父を見て、やりたいことがあったらその時やらなきゃと思いました。『きょう死んでも悔いのない生き方をしなさい』父がそう言っているように感じたんです。」

その後、大阪の仕事を辞めて、鹿児島に帰省。
旅に出るのに身動きしづらくなってはいけないと、仕事はアルバイトに変え、夜の居酒屋で働いてお金を貯めました。そして準備が整った今年の夏、太平洋岸を北上しながら日本一周に出発したのです。

8月25日に出発。沖縄から北海道まで15000キロを走った8月25日に出発。
沖縄から北海道まで15000キロを走った

ほとんど決めごとを作らない旅でしたが、47の都道府県全部をまわることだけは決めていました。
見たことも無い景色に息をのみ、圧倒され、思わずシャッターを切る毎日でした。撮った写真は何と3000枚!

九州最東端 鶴見崎より(大分県佐伯市)九州最東端 鶴見崎より
(大分県佐伯市)
納沙布岬に向かう途中に見た朝焼け(北海道)納沙布岬に向かう途中に見た朝焼け
(北海道)

「やっぱり世の中が好きなんですよね。好きなことはより知りたくなる。じゃないですか。それを実感したくて来たんだなぁと思いました。」

本州最南端・潮岬にて(和歌山県)本州最南端・潮岬にて
(和歌山県)
本州最西端・毘沙ノ鼻にて(山口県)本州最西端・毘沙ノ鼻にて
(山口県)

「秋田に入った時は、なぜだか空気が自分に合っている気がして和んだんですよ。何があったわけでもないんですが。とても柔らかい感じがして。土地の空気に癒される…これも新しい発見でした。」

秋田に入った途端、違う空気を感じた…秋田に入った途端、違う空気を感じた…

見知らぬ人と出会い、言葉を交わし、その土地を肌で感じる96日間でした。

旅先での一期一会(四国最西端の佐田岬で)旅先での一期一会
(四国最西端の佐田岬で)
旅の終わり、沖縄からのフェリーの船上で旅の終わり、沖縄からのフェリーの船上で

永田さんは、帰ってきたら真っ先に行きたいところがありました。
出発までボランティアをしていた鹿児島市の「森の玉里子ども食堂」です。
旅に出てからも、今いる場所を知らせる写真を届け、土地、土地で採れた食べ物を子どもたちに届けていました。

「子ども食堂」には永田さんの旅記録がいつも貼ってありました「子ども食堂」には永田さんの旅記録がいつも貼ってありました

「帰ってきました~」この日は、その報告です。

森の玉里子ども食堂で旅の報告森の玉里子ども食堂で旅の報告
旅先から長野のリンゴ、北海道のチーズなど届けた旅先から長野のリンゴ、北海道のチーズなど届けた

都道府県の県庁所在地で集めてきた長いスタンプ帳に子どもたちは、くぎ付けです。

都道府県スタンプを繋げた手帳に「すご~い!」都道府県スタンプを繋げた手帳に「すご~い!」
質問も相次いで…質問も相次いで…

「子どもたちに世の中の広さ、面白さを伝えたくって。いろんな場所があっていろんな人が生きてるんだよって知ってほしくて。」

鳥取砂丘にて…鳥取砂丘にて…

走行距離、1万5000キロ。日本を南北直線で結ぶと2700キロと言いますから、それを2往復半してきたことになります。

永田嘉人さん(34)永田嘉人さん(34)

―旅を終えての収穫は?―

「うーん。正直言ってまだ見えていません。でも砂時計の砂が落ちるようにこの経験は僕の中に落ちてきている。その砂時計をひっくり返した時、自分の中にゆっくりと吸収され、力になってくれると思います。」

―34歳。独身。仕事はアルバイト。これからに不安は?―

「僕ぐらいの年になると、安定した仕事、家庭、子どもをもってというのが普通ですよね。僕も以前は漠然とそう思っていました。でも僕はちょっと違った人生を歩んでいる。でも目的を持って好きなことを実現するために動いているから楽しいんです。こんな別のベクトルを持った生き方をする人がいても良いんじゃないかな。アルバイトでも世の中をこんなに楽しく生きてる人がいることを分かってほしいし、僕はそのサンプル①みたいに見てもらえればいいかな(笑)色んな生き方があっていいし、その事を自分自身で証明しながら歩んでる気がします。」

バイク日本一周中の永田さんバイク日本一周中の永田さん

―次の夢って?―

「目標は生涯現役。出来ることなら死ぬ瞬間まで働いていたい。生活基盤を作ることが大切なんで、まずは働きます。昔からコーヒーが好きで、コーヒー屋さんに勤めたいと思っています。そして、いつか自分の店を持ちたいっていう夢があるんです。」

―旅は?-

「また行きたいですね。今回は駆け足でしたが、次は一ケ所に留まって、その土地をじっくりと知る旅をしたいですね。」

「いつかの夢」を自らの手で実現した永田さんには、目的をもって進めば道は開けるという確かな自信がもたらされていました。

本州最東端・魹ヶ﨑(トドヶ﨑) (岩手県)本州最東端・魹ヶ﨑(トドヶ﨑)
(岩手県)

おわりに

どんな質問にも、即答で明瞭に答えてくれた永田さん。自分の気持ちを一つひとつ確認しながら、前に進んでいることが分かりました。

永田さんの夢実現の人生計画は、これからどんな風に描かれていくんでしょうか。
舵取りをするのは自分。ひっ飛んでみれば、新しい景色と人生が見えてくる…
永田さんからのメッセージです。

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